2021年08月19日

奇跡の話は、譬え話

「困ります、ファインマンさん」 R.P.ファインマン
   大貫昌子 訳 岩波現代文庫

宗教への懐疑 p17〜

 「…(少年の頃)これまで長い間いろんな(ユダヤ教の)奇蹟の話を理解しようと苦しんできたのだ。このショックのおかげで、たくさんの奇蹟の疑惑にあっさり解決がついたのは確かだ。だが僕の心は楽にならなかった。
 「そんなことにいちいちびっくりするぐらいなら、なぜ日曜学校に来るんだね?」とラビは呆れてたずねた。
 「だってお父さんやお母さんがよこすんだもの。」
 このできごとをおやじたちに打ち明けた覚えはない。しかしラビが話したものか、とにかくこれ以来日曜学校を強制されることはなくなった。…
 とにかくこの事件のおかげで僕の心の葛藤は、あっというまに解決がついた。奇蹟というものは、たとえ自然現象と矛盾しても、もっと話が活き活きしてきて、聞く者にわかりやすいように作られたものだという理論の方に軍配があがったわけだ。しかし自然そのものにひとかたならぬ興味をもっていた僕は、そんな作り話なんかで自然をねじ曲げられるのは、どうしても我慢ができなかった。このようにして僕はだんだん宗教というものを信じられなくなってきたわけだ。」

(原文)
 「Here I had been struggling to understand all these miracles, and now−
well, it solved a lot of miracles, all right! But I was unhappy.
The rabbi said, “If it is so traumatic for you, why do you come to Sunday school?”
“Because my parents make me.”
I never talked to my parents about it, and I never found out whether the rabbi communicated with them or not, but my parents never made me go again. …
 Anyway, that crisis resolved my difficulty rather rapidly, in favor of the theory that all the miracles were stories made up to help people understand things “more vividly,” even if they conflicted with natural phenomena. But I thought nature itself was so interesting that I didn’t want it disordered like that. And so I gradually came to disbelieve the whole religion.」

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自然法則を無視した奇蹟への不信

”all the miracles were stories made up to help people understand things ”
posted by Fukutake at 11:04| 日記

2021年08月18日

おそるべき話

「遠野物語」 柳田國男 新潮文庫

遠野物語拾遺より 170〜

 「二二七
 附馬牛村(つくもうしむら)の阿部某という家の祖父は、旅人から泥棒の法をならって腕利きの盗人となった。しかし決して近所では悪事を行わず、遠国へ出て働きをして暮らしたと謂う。年をとってからは家に帰って居たが、する事が無く退屈で仕方がないので、近所の若者達が藁仕事をして居る傍などへ行っては、自分の昔話を面白おかしく物語って聴かせて楽しんで居た。或晩のこと、此爺が引上げた後で、厩の方が大変に騒がしい。一人の若者が立って行って見ると、数本の褌が木戸木に結び着けてあって、馬はそれに驚いて嘶くのであった。はて怪しいと思って気が附いて探って見ると、居合わせた者は一人残らず褌を盗られて居たそうな。年はとっても、それ程腕の利いた老人であったと謂う。又前庭に竿を三四間おきに立てて置き、手前のを飛び越えて次の竿の上に立つなど、離れ業が得意であった。竿と言うから相当な高さがあって、且つ細い物であったろうが、それがこんなに年を老って後も出来たものだと謂う。又此爺は、人間は蜘蛛にも蛙にもなれるものだと口癖の様に言って居たそうな。死際になってから目が見えなくなったが自分でも、俺は達者な時に人様の目を掠めて悪事をしたのだから仕方がないと言って居た。今から七八十年前の人である。猶、旅人の師匠から授かった泥棒の巻物は、近所の熊野神社の境内に埋まって居ると言う事であった。」

「二二九
 昔遠野の一日市(ひといち)の某と云う家の娘は抜け首だと云う評判であった。或人が夜分に鍵町の橋の上まで来ると、若い女の首が落ちて居て、ころころと転がった。近よれば後にすさり、近寄れば後すさり、とうとう此娘の家まで来ると、屋根の破窓から中に入ってしまったそうな。」


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昔感満載の遠野物語。

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posted by Fukutake at 09:48| 日記

2021年08月17日

日本型の美

「面白さは多様性に宿る」 養老孟司 「現代思想」2017 3月臨時増刊号より 青土社

日本人の美意識 p16〜

 「感覚によって得るという意味での日本型の美を、冗長性がないというイメージに当てはめていくと、茶室が浮かびます。茶室には余計なものは置きません。冗長性がまったくないものが美だとするならば、茶室は徹底的に冗長性を切り詰めています。今収録しているこの会議室も何もないから茶室に近いですが、あまり美しい感じはしません。日本人だから畳などに郷愁があるんだ、と言われればそれまでかもしれませんが、何か足りないような感じがします。この部屋は切り離されている感じがしますが、茶室は必ずしもそうではない。そう考えるとわれわれの美的感覚はある意味で冗長性を落としていて、ある一瞬の一期一会なのです。そう考えると人工的につくったものが「美しい」というのはつくった話ではないかという気がしてきます。日本人は感覚的にある一瞬を捉えたものが美しいと感じるのだと思います。

 ヨーロッパの庭園は左右対称につくられ、視点を固定して鑑賞します。一方、日本の庭は歩くことを前提にした庭で、歩くたびに景色が変わることで多様性をそのまま表しています。変わらないわけにはいかないのです。そう考えると西欧の庭と日本の庭は対極な感じがしてきます。日本の場合、人工環境がそのまま原生林までつながっていきます。昔から言われることですが、切り離して人間社会をつくってしまうヨーロッパには、そういう意味での自然との一体感はありません。それは範囲を決めてここからは自分の場所だと城壁をつくってしまう都市型の考え方です。面白いことに、日本には堀はありますが、城壁はありません。結局日本には、西欧風の大きな城壁を持った巨大な都市はできませんでした。

 時の取り扱いにもその違いが出ていると思います。時間とともに変わってしまうものは日本ではあまり修正などしないで素直にそのままにし、ヨーロッパでは元の形に戻すことがどこかでいいと思っている気がします。だから「最後の晩餐」を書き直しているわけで、ボロボロになっているそのものがいいという感覚がないように思います。今は日本もそれに近くなってきています。」

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古びて変わっていく一瞬の姿も美のうち。
posted by Fukutake at 08:29| 日記