「井伏鱒二全集 第十巻」 筑摩書房 1997年
シ港陥落前後 p505〜
「日本軍に対する現地人の和親協力の気持ち。はじめて私がそれを感じたのは、イポの町からコーランポーに向かつてトラックで従軍して行く途中のことであつた。自転車部隊の一人の兵隊が、自転車のチェーンが破れ落伍して修繕してゐるところへ、二人のマライ人が水を入れた洗面器を持つて来て兵隊といつしよにチューブの破れた箇所をしらべてゐた。
すると沿道の一軒の家から、もう一人のマライ人が新しいタイヤを肩にかけて現はれ、兵隊さんにそのタイヤを進呈したいといふ手真似をしてみせた。兵隊さんの顔には喜色が現はれた。こんなのは一つの例にすぎないかもしれないが、マライにおける日本軍を包む四囲の環象が見えたやうに思はれた。
■
しかし現地人がことごとく、こちらの思ひ通り絵にかいたやうに協力の姿を見せるわけではない。なかには見当ちがいのことを云ふものもゐた。シンガポール陥落直後のころ、私と知り合ひになつた或るユーラシアンは、或るときこんなことを云つた。
「自分は百二十円の月収だが、百四十円の家賃の家に住んでゐる。女中も二人たとつてゐる。貯金が次第になくなつて行く。」
なぜ小さな家に住まないのかと私が疑ふと、彼は次のように答へた。
「自分は戦前にも、反英主義者として、二年半も牢に入れたれてゐたことがある。今や英人を駆逐した日本の治下にあつて、親日家をもつて任ずる自分が小さな家にすむのは恥である。英国を敵とする日本軍の面目のため、かつては反英主義者であり、今や親日家たる自分は、堂々たる立派な家に住む必要がある。故に、月給を上げてもらふやうに運動してもらひたい。」
■
また或る一人のマライ人は、日本人に協力するにもどんな風に協力したらいいかを知らなかつた。彼は或る時私の事務所にやつて来て、無言のまま部屋の隅に立つてゐた。そして私が椅子から離れると、彼は急いで私の背後に来て私のズボンの着け工合ひをなほし、シヤツの襟を折れ工合ひをなほした。マライ風に衣紋をつくろつてくれたのである。
しかし、なぜそんな変な真似をするのかと私が驚くと、彼は何も云はないでしよんぼりとして帰つて行つた。」
(「東京新聞」昭和十九年二月二日)
-------
2021年08月31日
シンガポール占領の思い出
posted by Fukutake at 08:14| 日記
フォン・ノイマン
「フォン・ノイマンの生涯」 ノーマン・マクレイ著 渡辺正・芦田みどり訳 朝日選書 1988年
p150〜
「一九二九年ごろジョニーは、ヨーロッパが恒久平和を生む政治体制に落ちついたとは感じていない。高い文明を誇ったアテナイ人がメロス島を蹂躙した古代の例を引いて、ドイツの「一九一八年の仕返し」もありうることをよく話した。音楽や数学を愛するドイツ人も、そのうち恐ろしいことをしかねない。祖国ハンガリーの領土分割という悲しい記憶もあったから、おだやかで思慮深い顔つきをしていても専門バカにすぎないゲッチンゲンのドイツ人が、チェコ(彼はCzechoをいつもドイツ語流にTschechoと綴った)ごときがドイツ領ををごっそり奪ったのに怒り心頭だと知っていた。戦いに疲れたハンガリーとドイツが新たな脅威の種にならないように、英仏は中部ヨーロッパにきびしい戦後処理を課したのだ、と彼は書いている。
二八年に書いたゲーム理論の論文は、複数の主体が争えば終点は「鞍点」になると論証したもの。鞍点とは、こちらも相手もお互いにリスクが最小、利益が最大と感じるような状態をいう。第一次大戦後のヨーロッパには、国家主義のドイツが東進し、かつての領土を奪還しようとロシアに戦いを挑む気配があった。ヒトラーが現れたとき、ヨーロッパに戦争は起こるだろうがこの狂人にはまずロシアと戦ってほしい、とジョニーは折り折りに願っていた。そうなったら、はざまのハンガリーもポーランドもまずい立場に置かれるだろうが。失地回復を願うハンガリーは国家主義ドイツの轍を踏むかもしれないが、自分は「そちら側で身動きとれなくなるのはいやだ」と友人に語っている。
そんな思いでいたからといって、若獅子ジョニーは不機嫌だったわけでもない。とはいえ、できればアメリカに行きたい、身につけた英語を武器にして、とずいぶん早いころから周囲には言っていた。英語など外国語の習得にはうまいやりかたをあみ出した。手ごろな本を短時間にうんと集中して読み、文章と単語の感覚を頭に刷りこんだのだ。
一九五〇年代の初め(プリンストンでコンピュータ開発をしていたころ)、ディケンズ『二都物語』の冒頭十数ページを一語もたがわず暗唱してハーマン・ゴールドスタインの肝をつぶしている。英語の百科事典もあさって、興味をもった項目を一語一句覚え、フリーメーソン運動、初期哲学史、ジャンヌ・ダルク裁判、南北戦争のいきさつなどつぶさに知っていた。ドイツ語のほうは子供時代に同じことをオンケンの『世界史』でやった。だから彼は古代史を、ドイツふうの軍国主義に色濃く染まったか見かたで学んだらしい。…」
----
脅威的な記憶力
p150〜
「一九二九年ごろジョニーは、ヨーロッパが恒久平和を生む政治体制に落ちついたとは感じていない。高い文明を誇ったアテナイ人がメロス島を蹂躙した古代の例を引いて、ドイツの「一九一八年の仕返し」もありうることをよく話した。音楽や数学を愛するドイツ人も、そのうち恐ろしいことをしかねない。祖国ハンガリーの領土分割という悲しい記憶もあったから、おだやかで思慮深い顔つきをしていても専門バカにすぎないゲッチンゲンのドイツ人が、チェコ(彼はCzechoをいつもドイツ語流にTschechoと綴った)ごときがドイツ領ををごっそり奪ったのに怒り心頭だと知っていた。戦いに疲れたハンガリーとドイツが新たな脅威の種にならないように、英仏は中部ヨーロッパにきびしい戦後処理を課したのだ、と彼は書いている。
二八年に書いたゲーム理論の論文は、複数の主体が争えば終点は「鞍点」になると論証したもの。鞍点とは、こちらも相手もお互いにリスクが最小、利益が最大と感じるような状態をいう。第一次大戦後のヨーロッパには、国家主義のドイツが東進し、かつての領土を奪還しようとロシアに戦いを挑む気配があった。ヒトラーが現れたとき、ヨーロッパに戦争は起こるだろうがこの狂人にはまずロシアと戦ってほしい、とジョニーは折り折りに願っていた。そうなったら、はざまのハンガリーもポーランドもまずい立場に置かれるだろうが。失地回復を願うハンガリーは国家主義ドイツの轍を踏むかもしれないが、自分は「そちら側で身動きとれなくなるのはいやだ」と友人に語っている。
そんな思いでいたからといって、若獅子ジョニーは不機嫌だったわけでもない。とはいえ、できればアメリカに行きたい、身につけた英語を武器にして、とずいぶん早いころから周囲には言っていた。英語など外国語の習得にはうまいやりかたをあみ出した。手ごろな本を短時間にうんと集中して読み、文章と単語の感覚を頭に刷りこんだのだ。
一九五〇年代の初め(プリンストンでコンピュータ開発をしていたころ)、ディケンズ『二都物語』の冒頭十数ページを一語もたがわず暗唱してハーマン・ゴールドスタインの肝をつぶしている。英語の百科事典もあさって、興味をもった項目を一語一句覚え、フリーメーソン運動、初期哲学史、ジャンヌ・ダルク裁判、南北戦争のいきさつなどつぶさに知っていた。ドイツ語のほうは子供時代に同じことをオンケンの『世界史』でやった。だから彼は古代史を、ドイツふうの軍国主義に色濃く染まったか見かたで学んだらしい。…」
----
脅威的な記憶力
posted by Fukutake at 08:11| 日記
2021年08月30日
他人の目
「シェイクスピア名言集」 小田島雄志 著 岩波ジュニア新書
p118〜
「...落ちめになったと悟るのは、自分で落ちたなと感ずるより早く、他人の目がそれ と教えてくれるのだ。
... What the declined is, He shall as soon read in the eyes of others, As feel in his own fall.
『トロイラスとクレシダ』第三幕第三場
トロイ軍と対峙するギリシャ軍のなかに、一つの問題が起こる。天下随一の勇将ア キリーズがトロイの王女への愛ゆえに戦おうとせず、総指揮官アガメムノンの指令に そむいて軍の秩序を乱していることである。そこで智将ユリシーズが一計を案じた、全 員アキリーズにチヤホヤすることをやめ、よそよそしくするのである。アガメムノンはじ め武将たちがみなうって変わったように冷たい顔をむけるを見て、アキリーズは、「お れの値うちが突然さがったとでもいうのか?」と自問したあと、このように言う。 自分の見る目には、一種の慣性の法則が作用する。それまで自分の姿が焼きつい ているので、他人の目よりも動きが遅くなるのである。昇り坂のときも加速度について いけず、人々の賛美の声にとまどいさえ覚えるだろうが、下り坂になるとスピードはさ らに早くなるのでいっそう調整しにくくなる。全盛期をすぎたプロ野球の選手や大相撲 の関取は、自分ではまだまだやれると思っていても、観客の拍手のさびしさに「秋」を 知らされるのである。
四十代になったある俳優が言っていた。「ぼくがいちばん正直だなあと思うのは、飲 み屋のママですね。昔テレビで売れていたころは、店に入ったとたんに、いらっしゃ い、とはずむような声が飛んで来たもんですよ。ところがこのごろじゃあ、椅子にす わってからやっと、昔より一オクターブ低い声で。いらっしゃい、ですからね」
-----
他人は正直。
p118〜
「...落ちめになったと悟るのは、自分で落ちたなと感ずるより早く、他人の目がそれ と教えてくれるのだ。
... What the declined is, He shall as soon read in the eyes of others, As feel in his own fall.
『トロイラスとクレシダ』第三幕第三場
トロイ軍と対峙するギリシャ軍のなかに、一つの問題が起こる。天下随一の勇将ア キリーズがトロイの王女への愛ゆえに戦おうとせず、総指揮官アガメムノンの指令に そむいて軍の秩序を乱していることである。そこで智将ユリシーズが一計を案じた、全 員アキリーズにチヤホヤすることをやめ、よそよそしくするのである。アガメムノンはじ め武将たちがみなうって変わったように冷たい顔をむけるを見て、アキリーズは、「お れの値うちが突然さがったとでもいうのか?」と自問したあと、このように言う。 自分の見る目には、一種の慣性の法則が作用する。それまで自分の姿が焼きつい ているので、他人の目よりも動きが遅くなるのである。昇り坂のときも加速度について いけず、人々の賛美の声にとまどいさえ覚えるだろうが、下り坂になるとスピードはさ らに早くなるのでいっそう調整しにくくなる。全盛期をすぎたプロ野球の選手や大相撲 の関取は、自分ではまだまだやれると思っていても、観客の拍手のさびしさに「秋」を 知らされるのである。
四十代になったある俳優が言っていた。「ぼくがいちばん正直だなあと思うのは、飲 み屋のママですね。昔テレビで売れていたころは、店に入ったとたんに、いらっしゃ い、とはずむような声が飛んで来たもんですよ。ところがこのごろじゃあ、椅子にす わってからやっと、昔より一オクターブ低い声で。いらっしゃい、ですからね」
-----
他人は正直。
posted by Fukutake at 09:57| 日記