2021年07月23日

蝶の魂

「虫の音楽家」 小泉八雲コレクション  池田雅之(編訳)  ちくま文庫

 蝶 p112〜

 「あるお寺の墓地の裏手にある一軒家に、高浜という老人が住んでいました。高浜は別に仏門に入っているわけでもないのに、決して結婚しようとしませんでした。

 ある夏の日、高浜は病気になり、自分はもう長くは生きられないだろうと思いました。そこで、後家になっていた義理の妹とその一人息子を呼びにやりました。二人はすぐに駆けつけ、高浜の最期の時を慰めるために、できるだけのことをしました。
 ある蒸し暑い日の午後、二人が枕元で看病をしていると、高浜は眠りに落ちました。その時、大きな白い蝶が部屋の中に飛んできて、病人の枕の上にとまりました。甥は団扇でその蝶を追い払いましたが、すぐにその蝶は戻ってきて、また枕にとまります。追われてもすぐに戻ってきましたので、甥は蝶を外へ追うことにしました。庭のほうへ、庭から裏木戸へ、そして裏木戸から隣の寺の墓地へと蝶を追い立てました。ところが、蝶は追われるのを嫌がるかのように、甥の目の前をひらひらと飛んでまつわりついているのでした。

 あまりにも蝶の様子がおかしいので、甥もこれは本当に蝶なのか、あるいは物の怪なのではなかろうかと思いはじめました。そこで、もう一度蝶を追い、墓地の中へ入り、蝶が飛んでいく方へとついていきました。するとその蝶は、ある墓のほうをめざして飛んでいきました。それはある女の墓でした。ところが、ところが、不思議なことに、蝶は消えてしまいました。甥はその辺りを捜してみましたが、蝶の姿はありませんでした。そこで、その墓石に近寄って調べてみると、そこには「あきこ」という女の名前が刻んでありました。

 その名前と共に、この女性が十八で亡くなったことが記されていました。この墓には、苔が生えはじめていましたが、よく手入れがされ、花入れには真新しい花が生けられ、手向けの水も取り換えられたばかりのようでした。
 病人の部屋に戻ってみると、甥は伯父が息を引き取ったと告げられ、びっくりしました。安らかな死が訪れたらしく、顔には笑みが浮かんでいました。

 息子は母親に、墓地で見てきたことを話しました。それを聞いて母親は驚いて言いました。
「まあ!それはあきこさんに違いない。まだ若かった頃伯父さんは、近所に住んでいたあきこという娘さんと結婚の約束をしていました。ところが、あきこさんが結核で死んでしまったのです。もうすぐ結婚というときだったのに、夫になるはずだった伯父さんの嘆きは、大変なものでした。あきこさんを葬った後、誰とも結婚しないと誓いを立ててしまって、いつもあきこさんの墓の近くにいられるようにと、墓地のそばに住むようになったんです。…でも、本人はこのことを人に知られたくなかったので、誰にも何も言わなかったそうよ。

 あきこさんが伯父さんを迎えにきたのね、あの白い蝶は、あきこさんの魂だったんだわ」」

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合掌
posted by Fukutake at 16:45| 日記