2021年07月02日

不安と饒舌

「新訂 小林秀雄全集 第六巻− ドストエフスキイの作品−」 新潮社 

 斷想 より p67〜

 「よく人を騙すのが大好きな奴がある。嘘をつくのがたまらなく面白いといふや奴がある。普通人を騙したり、嘘をついたりするには、ある目的なり趣味なりが伴はねばならぬ筈だが、そんなものを乗り越して嘘の爲の嘘をつく狂気まで進んでゐる。

 かういふ人達は見え透いた嘘を平気で言ふが、必ずしも馬鹿ではない。當人だつて自分の嘘を見抜かれてゐる事をちやんと承知してゐる。承知してゐて、平然と嘘をつく。奇妙な事だがこの種の半狂人を観察した事のある人はこの事實を知つてゐる筈である。惟ふに彼等は自分の嘘に、他人を騙して得をしようとする現實的な意味を明らかに認めてゐない許りでなく、他人を騙すのがただ楽しいから嘘をつくといふ様な生やさしい気持ちはないのである。彼等はただ騙してゐなければ、不安で不安でたまらぬのだ。他人を騙す事が即ち失われさうになる自己を發見する事になつてゐるのだ。

 かういふ狂人を笑ふのはよくない。寧ろ彼等の心理構造の難解に就いて想ひを致すべきだ。さうすれば彼等とヘッポコ文士との類似に気がつくであらう。ヘッポコ文士にとつて文學とは、かかる狂気を育てる具に過ぎぬ。」

 「何故あんな平凡な生活をしてゐられるかと怪しむ様な生活をしてゐる人達があるが、よく観察すれば、生活に何の變哲もないといふ事が、その人達のかけがへのない喜びなのだといふ事を屢々發見する。習慣といふものの恐ろしさだ。
 現代社會の不安といふ事が言はれるが、僕等の不安焦燥に習慣の手が延びてゐる事を見逃しては駄目だ。僕等はみんな芥川龍之介の「鼻」を一つづつぶらさげてゐるのだ。

 不安が生活を複雑にする。複雑化した生活が不安をささえる支柱となる。もう半分やられてゐるのだ。不安に苦しんでゐる間は、人は決して不安の奴隷とはならない。やがて不安が生活の必要となつて来る。さうすると人は不安に就いて安心して饒舌となる。そして不安理論家は、この饒舌をほんたうだと思ふ。現代の文學に現代の不安が反映してゐるといふ事が一つの事だ。或る現代文學が現代の不安を表現してゐるといふ事は又全く別の事である。」

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posted by Fukutake at 06:58| 日記