2021年07月07日

怒り

「裁かれた戦争」 アラン 白井成雄訳 小沢書店 1986年

プラトン p45〜

 「最近の哲学者は人間の本性をうまく描いていない。彼らは欲望・欲求と理性と対置させる。だが、戦争の原因を追求するには、これではとても不十分だ。なぜなら、人間は利害から、つまり欲望のために戦争をするといっても無意味だからである。死なないこと、これがあらゆる欲望の根底にある第一の欲望である。とすれば、理性の側に戦争の原因を求めるべきであろうか。そうすると、権利と力は協調可能だという危険なソフィズムが誕生してしまう。要するに、殺し殺されるという兵士の義務を考えるに当って、余りにも粗雑な心理学が土台にされているのだ。

 プラトンの方がこの理性的動物をより良く分析した。彼は頭を腹の上に置くようなことはしなかった。否、逆に彼は頭と腹をつんぐ部分、つまり胸部に注目し、諸情念をかきたてる怒りに注目するのだ。誰でも欲望・欲求が理性に強力に対立することは十分承知している。本能が飢え、渇き、あるいは寒さにふるえ、眠りを欲する時、一体理性に何ができよう。だが怒りははるかに恐ろしい、なぜなら怒りを静めるものは何一つないからだ。怒り、あるいは激情の原因は貧困や飢饉にあるのではなく、反対に豊かさにある。私のいう豊かさとは使い道のない蓄積された力のことだ。こうなると、ほんの些細な原因から手足は震えだす。力あふれる心臓がまずもって手足に血液を送りこみ、これを刺激する。身体全体が次第に揺り動かされてくる。こうして有害無益な作用が身体の鋭敏な部分を刺激する。その結果、我々は体中をはげしく掻きむしることになる。これは痒みを一時的に静めはするが、同時に倍加させてしまう。そして、余りにも知られていないメカニズムにより、のぼせ上った頭に種々の理屈があっという間に押し寄せてくるのだが、こうした理屈は強烈で、目映いほどだ。と言うのも、怒りは、こうした理屈を赤く照らし出し、至極当然なものと思わせてしまうからだ。…

 個人における怒りの姿と、社会における動員の姿と、この二つの現象を同時に、明確に描き出してはいないだろうか。いずれの場合も見られるのは怒りであり、怒りは人を興奮させ、歩みだしたら止まらない。他所を探しても無駄だ。軍神マルスは腹部にではなく胸部に住みついている。」

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ユダヤ人への、有色人種への怒り。割りを食ったという妄想。これが戦争の原因。

posted by Fukutake at 10:42| 日記

2021年07月05日

ミラー・ニューロン

「考える人」 季刊誌 2013年 夏号 No.45 新潮社

ヨーロッパの身体性 養老孟司 ポルノグラフィーはなぜ売れるのか

p129〜

「...イタリア人の研究者があるときアイスクリームを食べた。イタリア人だから実験室 でアイスクリームを食べるのである(イタリア人でなくても食べるかもしれない)。そうし たら、それを見ていた実験用のサルのニューロンが反応した。アイスクリームに反応 するニューロンかと思ってアイスクリームを見せたが、それだけでは反応しない。じゃ あというので、サルにアイスクリームをやったら、このニューロンはとたんに反応した。 つまり見ている相手がアイスクリームを食べても、自分が食べても、同じように反応す るニューロンが見つかったのである。じゃあそれはどういうニューロンはというと、もと もとは「自分がアイスクリームを食べる」ときに働くニューロンに違いない。つまりサル だろうがヒトだろうが、相手の行動を見ると「自分がその行動をする」のと同じ反応が 脳に起こってしまう。 この実験を知ったとき、長年の疑問が氷解した。それはポルノグラフィーがなぜ売れ るのか、という疑問である。性行動をしているのは他人なのに、それを見ている自分 がなぜ興奮しなきゃいけないのか。ミラー・ニューロン、あるいはそれに類似の神経シ ステムを前提にすれば、これは当然である。自分が性行動をしているときに興奮する ニューロンが、他人の性行動を見て興奮しているからである。つまりこういうものは 「伝染する(うつる)」というしかない。 他人の痛みを感じる。そういえば格好いいが、本当は痛くない。なぜなら傍観者の 場合には、末梢から「痛くないよ」という信号が入って、「痛いよ」と興奮しているミ ラー・システムの信号をキャンセルするからである。ただし末梢からの信号が入らな いと、本当に痛いらしい。その例をラマチャンドランが書いている。机の上に置いた手 を金槌で叩く。本当にそんなことをしたら傷害罪だから、ゴム製の手をホンモノと思わ せる仕掛けをあらかじめ整えておく。その手を金槌で思い切り叩くという光景を「手の ない人」に見せる。この人は自分の末梢から「じつは痛くないよ」という信号が入らな いので、本当に痛みを感じてしまうらしい。 ポルノも同じで、見ているだけで頂点に達する、男性なら射精するということは、ふ つうはない。末梢刺激という手助けが必要である。中枢つまり脳はすでに興奮してい るから、ちょっとした手助けで十分である。右の痛みの例から類推すれば、性に関わ る末梢が失われてしまった人では、見るだけでオーガズムに達する可能性があること になる。」

...

言語とは、ミラー・システムでは通じないことを、なんとか通じさせようとする働きであ る。だからわが家でも、「あそこのあれだけど、ああなってよかったわね」と家内がいえ ば、それだけで私に通じてしまう。ほとんど言語の体を為していないけれども、おそら くミラー・システムが数十年の間に夫婦間で十分に訓練されてきたのであろう。」
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あれですか?あれです。
posted by Fukutake at 13:57| 日記

ミラー・ニューロン

「考える人」 季刊誌 2013年 夏号 No.45 新潮社

ヨーロッパの身体性 養老孟司 ポルノグラフィーはなぜ売れるのか

p129〜

「...イタリア人の研究者があるときアイスクリームを食べた。イタリア人だから実験室 でアイスクリームを食べるのである(イタリア人でなくても食べるかもしれない)。そうし たら、それを見ていた実験用のサルのニューロンが反応した。アイスクリームに反応 するニューロンかと思ってアイスクリームを見せたが、それだけでは反応しない。じゃ あというので、サルにアイスクリームをやったら、このニューロンはとたんに反応した。 つまり見ている相手がアイスクリームを食べても、自分が食べても、同じように反応す るニューロンが見つかったのである。じゃあそれはどういうニューロンはというと、もと もとは「自分がアイスクリームを食べる」ときに働くニューロンに違いない。つまりサル だろうがヒトだろうが、相手の行動を見ると「自分がその行動をする」のと同じ反応が 脳に起こってしまう。 この実験を知ったとき、長年の疑問が氷解した。それはポルノグラフィーがなぜ売れ るのか、という疑問である。性行動をしているのは他人なのに、それを見ている自分 がなぜ興奮しなきゃいけないのか。ミラー・ニューロン、あるいはそれに類似の神経シ ステムを前提にすれば、これは当然である。自分が性行動をしているときに興奮する ニューロンが、他人の性行動を見て興奮しているからである。つまりこういうものは 「伝染する(うつる)」というしかない。 他人の痛みを感じる。そういえば格好いいが、本当は痛くない。なぜなら傍観者の 場合には、末梢から「痛くないよ」という信号が入って、「痛いよ」と興奮しているミ ラー・システムの信号をキャンセルするからである。ただし末梢からの信号が入らな いと、本当に痛いらしい。その例をラマチャンドランが書いている。机の上に置いた手 を金槌で叩く。本当にそんなことをしたら傷害罪だから、ゴム製の手をホンモノと思わ せる仕掛けをあらかじめ整えておく。その手を金槌で思い切り叩くという光景を「手の ない人」に見せる。この人は自分の末梢から「じつは痛くないよ」という信号が入らな いので、本当に痛みを感じてしまうらしい。 ポルノも同じで、見ているだけで頂点に達する、男性なら射精するということは、ふ つうはない。末梢刺激という手助けが必要である。中枢つまり脳はすでに興奮してい るから、ちょっとした手助けで十分である。右の痛みの例から類推すれば、性に関わ る末梢が失われてしまった人では、見るだけでオーガズムに達する可能性があること になる。」

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言語とは、ミラー・システムでは通じないことを、なんとか通じさせようとする働きであ る。だからわが家でも、「あそこのあれだけど、ああなってよかったわね」と家内がいえ ば、それだけで私に通じてしまう。ほとんど言語の体を為していないけれども、おそら くミラー・システムが数十年の間に夫婦間で十分に訓練されてきたのであろう。」
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あれですか?あれです。
posted by Fukutake at 13:57| 日記