「利用とあこがれ」三島由紀夫 「三島由紀夫全集31」 新潮社 1975年
p9〜
「最近讀んだ本で、末松太平氏の「私の昭和史」ほど、深い感銘を與へられた本はない。軍人の書いた文章と思へぬほど、見事な洗練された文章であり、話者の「私」の位置決定も正確なら、淡々たる叙述のうちに哀切な抒情がにじみ出てゐるのも心憎く、立派な一編の文学である。殊に全篇を讀み来たつて、エピロオグの「大岸頼好の死」の章にいたつたときの、パセティックで、しかも残酷な印象は比類がない。
これは二・二六事件の關係者で、おそらく唯一人の生き残りの、かつての「青年将校」が、冷静に當時の自分の周圍を描き出したいはば回想録である。しかしこんな新鮮な回想録といふものもまた珍しい。
著者が自己の純潔な心情を信じてゐるのは、讀者もそのまま信じてよいわけであるが、過去のこれほどの冷静周到な分析と、かつて一青年の心に燃えた純潔な炎とは、讀後、どうしても相矛盾する感を否めない。著者自身もそれを承知してゐて、とりわけ美しい冒頭の數章の中で、「青年将校運動といはれたものも、かういつた左翼の地下運動まがひの時代が、むしろ内容として充實してゐて、これからあとのブーム時代は、革新といふ意味からいへば、むしろ後退した」と述べている。
さて、これからは、今日の問題である。
この本の中で、青年将校たちが上官からちやほやされ、こはもてするのは、もちろん利用價値があつたからであるが、結局は、軍隊といふ特殊な一社會集團において、その集團のモラリティー(士道)を體現するものと目されたからである。
この社會集團には、厳しい規律もあり、階級制度もあり、立身出世主義も功利主義もあるが、それらはいづれもこの集團の本質的特徴をなすものではなく、最後にのこる本質的特徴としてはモラリティー(士道)しかないことを、誰しもみとめざるをえず、しかもその行動的倫理の實現の可能性は、何をしでかすかわからない危険な「青年将校」の中にしかないことを、暗黙の裡にみとめ合つてゐたからである。軍上層部の心理としては、かれらを利用することと、かれらにあこがれることとは、ほとんど同義語であつたと考へてよい。
しかし、問題はただ、昔の軍隊にとどまらず、社會が、その立脚すべき眞のモラリティーの保持者を求めて動揺するときには、(そして、宗教も何らその要求にこたへないときには、)すべては似たやうなメカニズムにおいて動く。安保闘争のとき、全學連主流派に對して、田中清玄氏が資金を提供したといふ興味あるニュースは、このことを暗示してゐる。
社會の上層部の道徳的自己疎外(あへて腐敗とは云はない)は、隠密に、何ものかを利用しようとし、何ものかにあこがれてゐる。あとはただ、誰がその場所に立つてゐるか、といふだけのことである。」
(<初出>中央公論・昭和三十八年五月)
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行動にうつる時までの思想が純粋で、そのあとはいろんなしがらみで押し流されていくようだ。
2021年07月14日
虎の巻
「六韜(りくとう)」 林富士馬(訳) 中公文庫 2005年
第四巻 虎韜 三十三 疾戦(速攻戦術)p140〜
「武王が太公望に尋ねた。
「敵軍がわが軍を包囲して、進路、退路ともに断たれ、食糧輸送の道さえも絶ってしまったとき、どんな戦法をとったらよいであろうか」
太公望が答えた。
「それは最悪の状態というものです。迅速果敢に反撃に出れば勝てますが、慎重に備え、いたずらに日を送っていたら敗戦を招くことはあきらかです。このような場合には、前後左右、四隊の突撃隊を編成し、戦車と勇猛な騎兵とをもって敵の軍隊を混乱させ、その混乱に乗じて疾風迅雷の攻撃を加えたなら、包囲を突破し、縦横自在に軍を動かすことができるでしょう。」
武王が言った。
「敵の包囲を脱出した後、戦いに勝利を得るためには、どのような方策があるのだろうか」
太公望が答えた。
「左翼の軍はただちに左に撃って出、右翼の軍は一直線に右を撃ち、敵に誘われて深追いすることなく、中央の隊は左右両翼の隊の状況と歩調を合わせながら前進、後退し、兵力を分散させることなく、たがいに連絡を取りながら行動するなら、敵軍がいかに衆を恃んでいても、敗走させることができるものであります。」」
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苦境にあっては、躊躇せず疾風のように果敢に撃って出るしかない。
第四巻 虎韜 三十三 疾戦(速攻戦術)p140〜
「武王が太公望に尋ねた。
「敵軍がわが軍を包囲して、進路、退路ともに断たれ、食糧輸送の道さえも絶ってしまったとき、どんな戦法をとったらよいであろうか」
太公望が答えた。
「それは最悪の状態というものです。迅速果敢に反撃に出れば勝てますが、慎重に備え、いたずらに日を送っていたら敗戦を招くことはあきらかです。このような場合には、前後左右、四隊の突撃隊を編成し、戦車と勇猛な騎兵とをもって敵の軍隊を混乱させ、その混乱に乗じて疾風迅雷の攻撃を加えたなら、包囲を突破し、縦横自在に軍を動かすことができるでしょう。」
武王が言った。
「敵の包囲を脱出した後、戦いに勝利を得るためには、どのような方策があるのだろうか」
太公望が答えた。
「左翼の軍はただちに左に撃って出、右翼の軍は一直線に右を撃ち、敵に誘われて深追いすることなく、中央の隊は左右両翼の隊の状況と歩調を合わせながら前進、後退し、兵力を分散させることなく、たがいに連絡を取りながら行動するなら、敵軍がいかに衆を恃んでいても、敗走させることができるものであります。」」
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苦境にあっては、躊躇せず疾風のように果敢に撃って出るしかない。
posted by Fukutake at 11:05| 日記
2021年07月12日
大学生の夏目金之助
「漱石全集」 第二十二巻 岩波書店 一九五七年
帝大文科二年 夏目金太郎 (明治二十二年、二十三歳の頃)
對月有感 p236〜
「夢路おとなう風の音にも目には見えぬ秋は軒端ふかくなりぬと覺しく いとものさみし 垣根の萩 さきみだれて人待ちかほなるにつけても 柴の戸おとづる友もがなと思へど 野分にいとどあれはてて 月影ばかり やへむぐらにもさはらず さし入るぞ いみじうわびしき夕なりける あわれ塵の世に生まれては かはり行くわが身の上を うれひうれひて老ぬべきかな かはらぬ月の色をめでたしと見て きよき心の友となさんやうもなし 去れど世の中のものども 誰かは清らなる月の光りをみて おのが心にはぢざるべき 心ざまいやしうして名聞をのみもとむるものの あるは秋の江に舟うかべてものの音かきならし ざれ歌うたひ あるはたかどのの簾たかくかかげて銀のともしびつらねて 宴開きわれがちに月をめで したりかほなるもいとあさまし われは月のおもはんほどもはずかしければ 舟も浮べず宴もはらず のきばちかくゐより入るかたの空清ふすみわたるまで うちながめつらつらおもほへらく 雲井にちかきかしこきわたりはものかは よもぎふの露けき草のいほりさへ 月のてらしてらして幾世へぬらん あはれむかし見し人も今はすすきが下の白き骨とこそなりけめ むかしゆかしき宮居も今は烟ひややかに草もたかくなりけん われもももとせの後は苔の下にうづもれて 此月影を見んことかなはず すまふ草のいほりも もとの野原となりて葉末の白露におなじ雲井の月影をやどすらん その時軒端ちかくゐよりて行末を思ひ昔を忍ぶこと われに似たる人もあるべし さてもおかしきは浮世なりけり
蓬生(よもぎふ)の葉末に宿る月影は むかしゆかしき かたみなりけり
情あらば月も雲井に老いぬべし かはり行く世を てらしつくして」
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懐古調もてだれですね。
帝大文科二年 夏目金太郎 (明治二十二年、二十三歳の頃)
對月有感 p236〜
「夢路おとなう風の音にも目には見えぬ秋は軒端ふかくなりぬと覺しく いとものさみし 垣根の萩 さきみだれて人待ちかほなるにつけても 柴の戸おとづる友もがなと思へど 野分にいとどあれはてて 月影ばかり やへむぐらにもさはらず さし入るぞ いみじうわびしき夕なりける あわれ塵の世に生まれては かはり行くわが身の上を うれひうれひて老ぬべきかな かはらぬ月の色をめでたしと見て きよき心の友となさんやうもなし 去れど世の中のものども 誰かは清らなる月の光りをみて おのが心にはぢざるべき 心ざまいやしうして名聞をのみもとむるものの あるは秋の江に舟うかべてものの音かきならし ざれ歌うたひ あるはたかどのの簾たかくかかげて銀のともしびつらねて 宴開きわれがちに月をめで したりかほなるもいとあさまし われは月のおもはんほどもはずかしければ 舟も浮べず宴もはらず のきばちかくゐより入るかたの空清ふすみわたるまで うちながめつらつらおもほへらく 雲井にちかきかしこきわたりはものかは よもぎふの露けき草のいほりさへ 月のてらしてらして幾世へぬらん あはれむかし見し人も今はすすきが下の白き骨とこそなりけめ むかしゆかしき宮居も今は烟ひややかに草もたかくなりけん われもももとせの後は苔の下にうづもれて 此月影を見んことかなはず すまふ草のいほりも もとの野原となりて葉末の白露におなじ雲井の月影をやどすらん その時軒端ちかくゐよりて行末を思ひ昔を忍ぶこと われに似たる人もあるべし さてもおかしきは浮世なりけり
蓬生(よもぎふ)の葉末に宿る月影は むかしゆかしき かたみなりけり
情あらば月も雲井に老いぬべし かはり行く世を てらしつくして」
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懐古調もてだれですね。
posted by Fukutake at 11:07| 日記