2021年07月24日

共産主義は妄想

「永遠の哲学」 オルダス・ハクスレー著 中村保男訳 平河出版社

共産主義 p187〜

 「完全な共産主義が成立するのは、霊的なもの −−ある程度までは精神的なもの −−においてのみであり、さらに言えば、このようなものが無執着と自己否定の状態にある男女によって所有されている場合だけである。ある程度の苦行が、単に知的で美学的なものだけを創造し享受するのにも欠かせない前提条件となっていることに注意を向けるべきだろう。芸術家、哲学者、科学者の職を選ぶ人は、多くの場合、貧困な生活と報われない重労働を選んでいるわけだが。それだけが彼らの選ぶべき苦行ではなく、芸術家は、世界を眺める時、功利的にものごとを考える普通人の傾向を否定しなければならない。同様にして、批判的哲学者は自分の常識を抑えなくてはならず、調査研究に従事する者は、過度に単純化したり、通り一遍の考え方をしたりする誘惑に断固として抵抗しなくてはならないし、謎めいた「事実」の導くがままになるように自分を素直にしておく必要がある。さらに、美的な、あるいは知的なものを創り出す人について言えることは、そのようなものを享受する人たちについてもいえることであり、こうした苦行が決して些事ではないということは歴史の過程で再三再四明らかになっている。

 たとえば、ここで想い浮かぶのは、知的な苦行をしたソクラテスに苦行を積んでいない同国人たちが毒人参で報いたという史実であり、あるいはまた、アリストテレス的なものの考え方と訣別するためにガリレオやその同時代人たちが積みかさねた英雄的な努力であり、由緒深いデカルトの処方を用いることによって発見できる以上に多くのものが宇宙に厳存しているのだと信じる科学者ならば誰もが今日やはり英雄的な努力をかさねなくてはならないのだ。このような苦行または精神は、もっと低いレヴェルで霊の至福に相当する意識状態という報酬を得る。芸術家は −−哲学者や科学者もやはり芸術家なのだ −−美的な観照、発見、そして無執着による所有という至福を知っているのである。

 知と情と想像の所産は真実のものではあるが、最終目標ではなく、それら自体を目的として扱うと、私たちは偶像崇拝に陥ってしまう。意志、欲望、行動の苦行精進だけでは充分ではなく、知ること、考えること、感じること、空想することなどにも苦行精神がなくてはならぬ。」

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共産主義はファンタジー。安易に誘惑に陥る傾向に抵抗せよ。
posted by Fukutake at 06:25| 日記

2021年07月23日

蝶の魂

「虫の音楽家」 小泉八雲コレクション  池田雅之(編訳)  ちくま文庫

 蝶 p112〜

 「あるお寺の墓地の裏手にある一軒家に、高浜という老人が住んでいました。高浜は別に仏門に入っているわけでもないのに、決して結婚しようとしませんでした。

 ある夏の日、高浜は病気になり、自分はもう長くは生きられないだろうと思いました。そこで、後家になっていた義理の妹とその一人息子を呼びにやりました。二人はすぐに駆けつけ、高浜の最期の時を慰めるために、できるだけのことをしました。
 ある蒸し暑い日の午後、二人が枕元で看病をしていると、高浜は眠りに落ちました。その時、大きな白い蝶が部屋の中に飛んできて、病人の枕の上にとまりました。甥は団扇でその蝶を追い払いましたが、すぐにその蝶は戻ってきて、また枕にとまります。追われてもすぐに戻ってきましたので、甥は蝶を外へ追うことにしました。庭のほうへ、庭から裏木戸へ、そして裏木戸から隣の寺の墓地へと蝶を追い立てました。ところが、蝶は追われるのを嫌がるかのように、甥の目の前をひらひらと飛んでまつわりついているのでした。

 あまりにも蝶の様子がおかしいので、甥もこれは本当に蝶なのか、あるいは物の怪なのではなかろうかと思いはじめました。そこで、もう一度蝶を追い、墓地の中へ入り、蝶が飛んでいく方へとついていきました。するとその蝶は、ある墓のほうをめざして飛んでいきました。それはある女の墓でした。ところが、ところが、不思議なことに、蝶は消えてしまいました。甥はその辺りを捜してみましたが、蝶の姿はありませんでした。そこで、その墓石に近寄って調べてみると、そこには「あきこ」という女の名前が刻んでありました。

 その名前と共に、この女性が十八で亡くなったことが記されていました。この墓には、苔が生えはじめていましたが、よく手入れがされ、花入れには真新しい花が生けられ、手向けの水も取り換えられたばかりのようでした。
 病人の部屋に戻ってみると、甥は伯父が息を引き取ったと告げられ、びっくりしました。安らかな死が訪れたらしく、顔には笑みが浮かんでいました。

 息子は母親に、墓地で見てきたことを話しました。それを聞いて母親は驚いて言いました。
「まあ!それはあきこさんに違いない。まだ若かった頃伯父さんは、近所に住んでいたあきこという娘さんと結婚の約束をしていました。ところが、あきこさんが結核で死んでしまったのです。もうすぐ結婚というときだったのに、夫になるはずだった伯父さんの嘆きは、大変なものでした。あきこさんを葬った後、誰とも結婚しないと誓いを立ててしまって、いつもあきこさんの墓の近くにいられるようにと、墓地のそばに住むようになったんです。…でも、本人はこのことを人に知られたくなかったので、誰にも何も言わなかったそうよ。

 あきこさんが伯父さんを迎えにきたのね、あの白い蝶は、あきこさんの魂だったんだわ」」

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合掌
posted by Fukutake at 16:45| 日記

2021年07月22日

経験としての歴史

「小林秀雄全作品26」信ずることと知ること 新潮社 平成十六年

歴史について p232〜

 「今日、歴史ブームという事が言われている。その意味は曖昧だが、はっきり言える事はある。これも歴史家が長い間常識を外れた仕事をやっていた。その反動がきたのだ。はっきりした唯物史観というものが、歴史を考える人たちを支配して来たと言えないだろうが、自然科学に見合った実証主義の考えの歴史支配が、常識人なら誰も感じている歴史の命を殺してしまったという事は言えるだろう。諸事実の発見、証明、確認、そんな事を、いつまでもやっているんだ。何という退屈、そういう全く簡単な事なのだ。歴史というものはそのような退屈なものではないという常識人の確信が頭をもたげた。こんなはっきりした事はない。歴史上の事実とは、ただ調べられた事実ではない。考えられた事実だ。

 昔の人は、面白くない事実など、ただ事実であるという理由で、書き残して来た筈はない。あんまり面白いことがあったから、語らざるを得なかったのだし、そういう話は、聞く方でも親身に聞かざるを得なかったのだ。こんな明瞭な歴史の基本の性質を失念してしまっては仕方がない。歴史を鏡と言う発想は、鏡の発明と共に古いでしょう。歴史を読むとは、鏡を見る事だ。鏡に映る自分の顔を見る事だ。勿論、自分の顔が映るとは誰もはっきり意識はしてはいない。だが、誰もそれを感じているのだ。感じていないで、どうして歴史に現れた他人事とは思えぬ親しみを、面白さを感ずる事が出来るのだ。歴史の語る他人事を吾が身の事と思う事が、即ち歴史を読むという事でしょう。本物の歴史家が、それを知らなかったという事はない。そういう理想的読者を考えないで書いた筈はないのです。古い昔から私達が歴史家の先祖と考えてきた司馬遷が、どんな激しい動機から歴史を書いたかは誰も知るところだ。

 歴史における実証主義などという、近ごろの知識人の頭脳を少しばかり働かした思想などで、人間の歴史の基本的な性格がどうなるものでもないではないか。世の有様が、鏡に照らして見るが如く、まざまざと読むものの心眼に映ずる、これが史書を「鏡もの」と呼んだ理由でしょう。まざまざとという日本語の味わいを、よく噛みしめてみるがよい。現代は言語の知的発明や使用が盛大だが、古くからある言語というものは、すべて直かな生活経験の上に立つものだ。まざまざと見える歴史事実というものが、先ずあったのである。先ず僕ら文学者に親しい事実があったのだよ。

 歴史的事実は、そのどうにもならぬ個性、性格をまざまざと現しているものとして、即ち歌い物語る事が出来るものとして、まず我々にその姿を現したものなのだ。このようなものの認識を、宣長は、今を昔に、昔を今に、「なぞらえる」という言葉で言ったのだ。歴史事実に行きつく外の道はないのだ。吾が身になぞらえて知る歴史事実の知識は、直かな知識だが、個性を離れた一列一体の事実、その間の因果関係というようなものは、ただ嘘ではないという間接的知識に留まる。ただ嘘ではないという知識も大変な応用は利く。それを現代人は技術の上で極度に利用している事は言うまでもない。あんまり利用が出来過ぎて、みんな不安になっている。…」

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まざまざと感じる歴史

posted by Fukutake at 06:41| 日記