2021年06月25日

ラディゲ

「一冊の本  ラディゲ 「ドルヂェル伯の舞踏會」」三島由紀夫 
 「三島由紀夫全集31」 新潮社 1975年

 p167〜

 「ラディゲが二十歳で夭折する前に書いた傑作「ドルヂェル伯の舞踏會」には、他の譯者の譯も二、三あるが、私にとつてのそれは、どうしても堀口大學氏の譯でなくてはならない。私は、堀口氏の創った日本語の藝術作品としての「ドルヂェル伯の舞踏會」に、完全にイカれてゐたのであるから。それは正に少年時代の私の聖書であつた。白水社版のこの本を、一體何度讀み返したかわからないが、十五歳ぐらゐで初讀のときは、むつかしいところなど意味もわからず魅せられ、くりかえして讀むうちに、朝霧のなかから徐々に家々や教會の尖塔がくつきりと現れてくるやうに、この小説の作意も明瞭になつた。

 しかし少年の私をはじめに惹きつけたものは、人間心理への透徹した作者の目よりも、譯文の湛えてゐる獨得の乾燥したエレガンスであつた。はじめのうちは私は、半ば趣味的に、半ば作者への嫉妬と競争心をもつて、この本にかじりついてゐたと言へる。私もなんとか二十歳前後にこんな傑作を書き、二十歳で死んだら、どんなにステキだらうと思つてゐた。「それかあらぬか」とか「館」とか「寄付の間」とかの古めかしい言葉が、「するのだつた」「すぎぬのだつた」とかといふ「だつた」の濫用による。メカニックでもあり同時に呼吸が切迫っするやうなにパセティックでもある獨得の文體の中に、ちりばめられてゐる堀口氏の譯文は、しばらくの間私をがんじがらめにし何を書いても「だつた」がつづいて出てくるほどになつた。

 私は色んな個所に傍線を鉛筆で引き、少し成長すると、前に感心したところが子供らしく思はれて、その傍線を消し、また新たに感心した個所に傍線を引くので、私の所持の本には、その鉛筆の消し跡が一杯ある。
「彼はかうまで自由に行動する自分を見て感服するのだつた。そして、この場合、例外的なことは、彼が自分に向かつて自分が自由だと云ふことを證明する必要を、人知れず感じてゐる點に存することに気がつかぬのだつた。」

 などといふ數行には傍線が残つているが、今から見れば初歩的なかういふ心理解剖が、當時はひどく優雅な、模して及ばぬシックなものに見えてゐたのである。

 ラディゲへのかういふ盲目的信仰のあとに、私が徐々にその源流をたづねて、「クレエヴの奥方」た「アドルフ」や「フェルドエル」を讀むにいたつたとき、はじめてラディゲの眞價がわかつて来た。ラディゲがその連峰のはじめの一つの山であることがわかつて来たのである。…」

-----
私(三島)は「ついに、ラディゲが目ざしてゐた人間と生の極北への嗜好からは、のがれることができなかつたのである。」


posted by Fukutake at 08:04| 日記

狐の敵討ち

「遠野物語」 柳田國男 新潮文庫

狐の仕返し p157〜

 「二〇四
 是は大正十年十一月十三日の岩手毎日新聞に出て居た話である。小国のさきの和井内という部落の奥に、鉱泉の涌く処があって、石館忠吉という六十七歳の老人が湯守をして居た。去る七日の夜の事と書いてある。夜中に戸を叩く者があるので、起きて出てみると、大の男が六人手に猟銃を持ち、筒口を中吉に向けて三百円出せ、出さぬと命を取るぞと脅かすので、驚いて持合わせの三十五円六十八銭入りの財布を差出したが、是ばかりでは足らぬ。是非とも三百円、無いというなら打殺すと言って、六人の男が今や引金を引こうとするので、夢中で人殺しと叫びつつ和井内の部落まで、こけつまろびつ走って来た。村の人たちはそれは大変だと、駐在巡査も消防手も、青年団員も一つになって、多人数でかけ附けて見ると、既に六人の強盗は居なかったが、不思議なことに先刻爺が渡した筈の財布が、牀(とこ)の上に其儘落ちて居る。是はおかしいと小屋の中を見まわすと、貯えてあった魚類や飯が散々に喰い散らされ、そこら一面に狐の足跡だらけであった。一同さては忠吉爺は化かされたのだと、大笑いになって引取ったとある。此老人は四五日前に、近所の狐穴を生松葉でいぶして、一頭の狐を捕り、皮を売ったことがあるから、定めて其眷属が仕返しに来たものであろうと、村では専ら話し合って居たと出て居る。」

-----
かわいそうな狐の親族
posted by Fukutake at 07:59| 日記