「「楡家の人びと」(北杜夫著)」「三島由紀夫全集31」 新潮社 1975年
p239〜
「戰後に書かれたもつとも重要な小説の一つである。この小説の出現によつて、日本文學は、眞に市民的な作品をはじめて持ち、小説といふものの正統性を證明するのは、その市民性に他ならないことを學んだといへる。
これほど巨大で、しかも不健全な觀念性をみごとに脱却した小説を、今までわれわれは夢想することもできなかつた。
あらゆる行(ぎやう)が具體的なイメージによつて堅固に裏打ちされ、ユーモアに富み、追憶の中からすさまじい現實が徐々に立上るこの小説は、終始楡一族をめぐつて展開しながらも、一腦病院の年代記が、つひには日本全體の時代と運命を象徴するものとなる。しかも叙述にはゆるみがなく、二千枚に垂(なんな)んとする長編が、盡きざる興味を以て讀みとほすことができる。
初代院長基一郎は何という魅力のある俗物であらう。諸人物の幼年時代や、避暑地の情景には、何といふみづみづしいユーモアと詩があふれてゐることだらう。戰争中の描冩にさしはさまれる自然の崇高な美しさは何と感動的であらう。
これは北氏の小説におけるみごとな勝利である。これこそ小説なのだ!」
(<初出>同書函・新潮社・昭和三十九年四月)
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高校の頃に読んだ記憶が少し蘇りました。
第一次大戦の影響
「ジャーナリスト漱石 発言集」 牧村健一 編 朝日文庫 2007年
「点頭録」より 軍国主義 p148〜
「今度の欧州大戦が爆発した当時、自分は或人から突然質問を掛けられた。「何(ど)んな影響が出るでせう」
「左様」
自分は実際考える暇をもたなかつた。けれども答えなければならなかつた。
「何んな影響が出てくるか、来て見なければ無論解りませんけれども、何しろ吾々が是はと驚ろくやうな目覚ましい結果は予測しにくいやうに思ひます。元来事の起こりが宗教にも道義にも乃至一般人類に共通な深い根底を有した思想なり動かされたものでない以上、何方(どつち)が勝った所で、善が栄えるといふ訳でもなし、又何方が負けたにした所で、真が勢を失ふといふ事にもならず。美が輝きを減ずるといふ羽目にも陥る危険はないぢやありませんか」
自分はさう云い切って仕舞った。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が凄まじい位猛烈な割に、案外落付ゐていられるのは、全く此見解が知らず知らず胸の裡(うち)にあるからだろうと、私かに自分で自分を判断した。
実際此戦争から人間の信仰に革命を引き起こすやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが為に美醜の標準に狂ひが出やうとは猶更観念できない。何の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂文明なるものの本流に、強い角度の方向転換が行われる虞はないのである。
戦争と名のつくものの多くは古来から大抵斯(こ)んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其仕懸の空前に大袈裟な丈に、ややもすると深みの足りない裏面を対照として却て思ひ出さる丈である。自分は常にあの弾丸とあの硝薬とあの毒瓦斯とそれからあの肉団と鮮血とが、我々人間の未来の運命に、何の位貢献してゐるのだらうかと考える。さうして或る時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿馬鹿しくなる。最後に折々は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。左様(さう)した立場から眺めると、如何に凄まじい光景でも、如何に腥(なまぐさい)い舞台でも、それに相応した内面的背景を具へていないといふ点に於て、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの軽浮なセンセーション小説だのと択ぶと所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々の頭上には、千差万別の悲劇が錯綜紛糾して、時々刻々に彼等の運命を変化しつつあらうとも、それは当座限りの影響に過ない。永久に吾人一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は何処からも生まれて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの空々しい事実なのである。…」
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漱石の眼光。
「点頭録」より 軍国主義 p148〜
「今度の欧州大戦が爆発した当時、自分は或人から突然質問を掛けられた。「何(ど)んな影響が出るでせう」
「左様」
自分は実際考える暇をもたなかつた。けれども答えなければならなかつた。
「何んな影響が出てくるか、来て見なければ無論解りませんけれども、何しろ吾々が是はと驚ろくやうな目覚ましい結果は予測しにくいやうに思ひます。元来事の起こりが宗教にも道義にも乃至一般人類に共通な深い根底を有した思想なり動かされたものでない以上、何方(どつち)が勝った所で、善が栄えるといふ訳でもなし、又何方が負けたにした所で、真が勢を失ふといふ事にもならず。美が輝きを減ずるといふ羽目にも陥る危険はないぢやありませんか」
自分はさう云い切って仕舞った。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が凄まじい位猛烈な割に、案外落付ゐていられるのは、全く此見解が知らず知らず胸の裡(うち)にあるからだろうと、私かに自分で自分を判断した。
実際此戦争から人間の信仰に革命を引き起こすやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが為に美醜の標準に狂ひが出やうとは猶更観念できない。何の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂文明なるものの本流に、強い角度の方向転換が行われる虞はないのである。
戦争と名のつくものの多くは古来から大抵斯(こ)んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其仕懸の空前に大袈裟な丈に、ややもすると深みの足りない裏面を対照として却て思ひ出さる丈である。自分は常にあの弾丸とあの硝薬とあの毒瓦斯とそれからあの肉団と鮮血とが、我々人間の未来の運命に、何の位貢献してゐるのだらうかと考える。さうして或る時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿馬鹿しくなる。最後に折々は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。左様(さう)した立場から眺めると、如何に凄まじい光景でも、如何に腥(なまぐさい)い舞台でも、それに相応した内面的背景を具へていないといふ点に於て、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの軽浮なセンセーション小説だのと択ぶと所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々の頭上には、千差万別の悲劇が錯綜紛糾して、時々刻々に彼等の運命を変化しつつあらうとも、それは当座限りの影響に過ない。永久に吾人一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は何処からも生まれて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの空々しい事実なのである。…」
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漱石の眼光。
posted by Fukutake at 08:39| 日記