2021年06月20日

軽妙なエッセイ

「夜中の薔薇」 向田邦子 講談社 

頭中将 p73〜

 「漢字を覚える時期によそ見をしていたんでしょう、私は、読めても書けないタチで、よく字を間違えます。霞町に住んでいた時分、どうも人さまからくる手紙と私の書く霞の字が違うので、突き合わせて辞書を引いたら、私のほうが間違っていました。
 この始末ですから、人さまを笑えた義理ではないのですが、私に輪をかけたのがタレントさん方で、みなさん駄ジャレやちょっとした冗談はお上手ですが、字は苦手のようです。紅白粉(べにおしろい)はベニシロコ、断食(だんじき)はダンショクになります。
 ついこの間、「源氏物語」の本読みで、たのしい思いをしました。難しい役名は、最初に登場する時に、ふり仮名をつけます。朧月夜尚侍(おぼろづきよのないしのすけ)という具合にです。ところが二度目からはキリがないのでふり仮名はしませんから、自信のない向きは、読む声が小さくなります。当日の傑作は、頭中将をアタマノタイショウ。小侍従(こじじゅう)を(ショウジュウジュウ)と呼んで、みんなを笑わせぐっとくだけた気分にして下さった方でした。」
(現代/1980・1)

楽しむ酒 p140〜

 「金髪碧眼と言いたいところですが、髪はほとんど真白でした。鶴よりももっと痩せていました。年は七十をすこし出たところでしょうか。かなりの長身に、黒っぽいスーツでシャンと背筋をのばして、その紳士は一人でダイニング・ルームへ入って来ました。
 ベルギーの首都ブラッセルの一流ホテルでした。夜の七時を少し廻った頃だと思います。紳士は窓ぎわに座ると、気の遠くなるほど時間をかけて、ゆっくりとメニューに目を通しました。
 やっと決まって、まず食卓にパンが運ばれました。籠に入ったフランス・パンです。次に、グラス一ぱいの赤ワインがつがれました。紳士は、フランス・パンを千切り、赤ワインを浸して、ゆっくりと食べはじめました。新聞をひろげ、窓から夜景を眺めながら、紳士は二切れ目のパンにとりかかります。
 運ばれてきたのは、舌平目のムニエルでした。紳士はゆっくりと食べ、皿に残したバタ・ソースをパンで拭うようにして食べました。犬がなめたようにピカピカの皿を返したあと、小さなコーヒーで終わりでした。
 片手をあげて勘定を頼み、いくばくかのチップを銀色の盆に残して紳士はゆっくりと出てゆきました。
 私は感心して眺めていました。老紳士のしたことは、長い間私たちがしてはいけないこととして固く戒められていることばかりです。…しかし、老紳士は不思議に魅力的にみえました。堂々として自然でした。一人きりのディナーを楽しんでいました。これでいいのだと思いました。…」

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posted by Fukutake at 07:24| 日記

太秦の仏像たち

「井伏鱒二全集 第十一巻」 筑摩書房 昭和四十年

京都 p95〜

 「…私が中學を出たのは三十何年前である。その年の秋、私は早稲田に入學して、それから三年目か四年目の春、そのころ京都の學校にゐた友人の下宿に行つた。そのときは、べつだん美術商のうちを見たいとも思わなかつたが、私は友人に連れられて飲屋に行く途中、偶然その店の前を通つた。また日が暮れて間もないのに戸は閉じてゐた。その夜、私の友人飲屋で、太秦の或る寺の若い坊さんを私に紹介した。中學生の服をきた若い坊さんで、不斷この飲屋で私の友人とよく顔を合せて親しくしてゐるさうであつた。前々からの約束と見え、私の友人が「明日、あんたのところのお寺、見物させてくれないか。この友達と一緒に行くからね」と云ふと、中學生の坊さんはすぐに承知した。その太秦の寺は由緒ふかいのである。佛像も大したものが納つてゐる。

 翌日、私の友人は學生服や角帽にブラシをかけた。靴も磨いた。私は、よれよれの袴をはいてゐたが。下駄は新しいのをはいて友人に連れて行つてもらつた。中學生の坊さんは、先ず境内の古めかしい井戸を私たちに見せ、次に金堂の軒の反り工合について説明し、その堂内の佛像を見せてくれた。何體もの金銅佛の手の指が私には印象的であつた。中學生の坊さんは、聖徳太子の像の前に私たちを連れて行き。自分でも惚れ惚れとそれを見ながら特徴を説明した。この見物がすむと、修繕して間もない六角堂のなかに連れて行つてくれた。左手の隅に、二た抱へもあるやうな木彫の佛様の頭があつた。「樓門の天井に抛り込んであつたんです」と中學生が説明した。正面右手に一寸二三分ぐらゐの高さの佛像が、段々に何十體となく並べてあつた。「これは昔の人が、一刀三禮して、刻んだ尊い像です」と中學生が云つた。その佛像は均等な間隔で並んでゐたが、五六箇所か六七箇所、ところどころ齒が抜けたやうに隙間が出来てゐた。

「あれは、どうしたのだらう」と私の友人がきくと、中學生は、「膠がとれてゐます」と云つて、ためしに一つの像を持ち上げて見せた。佛像の足の裏に膠がとれてゐて、䑓の上に危なく立つてゐるだけなのが知れた。「それで、齒が抜けたやうにたつてゐるのは、修繕に出したんですか」と友人が聞くと、中學生はいまいましさうに、「いえ、ここの齒が抜けたところは何々博士が持つていらしゃいました。ここのは、何々さんがお持ちになりました…」といちいち齒抜けの由来を説明した。「では、我々も持つて行つていいのかね」と友人が云ふと、中學生は「それは公徳心の問題です」と云つた。…」
(昭和二十七年十一月執筆)


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井伏鱒二の名文、何気ない文章でも読ませる。
posted by Fukutake at 07:20| 日記