2021年06月19日

漢字の見事な流用

「本居宣長(上)」 小林秀雄 新潮文庫 源氏物語の中の人生 p305〜

漢字の受容 p372〜

「それにしても、話される言葉しか知らなかった世界を出て、書かれた言葉を扱う世 界に這入る、そこに起った上代人の言語生活の異変は、大変なものだったであろう。 これは、考えて行けば、切りのない問題であろうが、ともかく、頭にだけは入れて置か ないと、訓読の話が続けられない。言ってみるなら、実際に話し相手が居なければ、 尋常な言語経験など考えでもみられなかった人が、話し相手なしに話すことを求めら れるとは、異変に違いないので、これに堪える為には、話し相手を仮想して、これと話 し合っている積りになるより他に道はあるまい。読書に習熟するとは、耳を使わずに 話を聞く事であり、文字を書くとは、声を出さずに語る事である。それなら、文字の扱 いに慣れるのは、黙して自問自答が出来るという道を、開いて行く事だと言えよう。

言語がなかったら、誰も考える事も出来まいが、読み書きにより文字の扱いに通じ るようにならなければ、考えの正確は期し得まい。動き易く、消え易い、個々人の生活 感情にあまり密着し過ぎた音声言語を、無声の文字で固定し、整理し、保管するとい う事が行われなければ、概念的思考の発達は望まれまい。ところが、日本人はこの 所謂文明への第一歩を踏み出すに当って、表音の為の仮名を、自分で生み出す事も なかったし、他国から受取った漢字という文字は、アルファベット文字ではなかった。 図形と言語とが結合して生れた典型的な象形文字であった。この事が、問題をわかり にくいものにした。
漢語の言霊は、一つ一つの精緻な字形のうちに宿り、蓄積された豊かな文化の意 味を語っていた。日本人が、自国のシンタックスを捨てられぬままに、この漢字独特 の性格に随順したところに、訓読という、これも亦独特な書物の読み方が生れた。書 物が訓読されたとは、尋常な意味合では、音読も訓読もさえなかったという意味だ。 原文の持つ音声なぞ、初めから問題ではなかったからだ。眼前の漢字漢文の形を、 眼で追うことが、その邦訳語訳文を、其処に想い描く事になる。そういう読み方をした のである。これは、外国語の自然な受入れ方とは言えまいし、勿論、まともな外国語 の学習でもない。このような変則的な仕事を許したのが、漢字独特の性格だったにせ よ、何の必要あって、日本人がこのような作業を、進んで行ったかを思うなら、それ は、やはり彼我の文明の水準の大きな違いを思わざるを得ない。

向うの優れた文物の輸入という、実際的な目的に従って、漢文も先ず受取られたに 相違なく、それには、漢文によって何が伝達されたのか、その内容を理解して、応用 の利く智識として吸収しなければならぬ。その為には、宣長が言ったように、「書籍(フ ミ)と云う物」を、「此間(ココ)の言もて読みなら」う事が捷径だった、というわけである。無論、捷径とははっきり知って選んだ道だったとは言えない。やはり何と言って も、漢字の持つ厳しい顔には、圧倒的なものがあり、何時の間にか、これに屈従して いたという事だったであろう。屈従するとは圧倒的に豊富な語彙が、そっくりそのまま の形で、流れ込んで来るに任せるという事だったであろう。それなら、それぞれの語 彙に見合う、凡その意味を定めて、早速理解のうちに整理しようと努力しなければ、 どうなるものでもない。この、極めて意識的な、知的な作業が、漢文訓読による漢字 学習というものであった。これが、わが国上代の教養人というものを仕立てあげ、そ の教養の質を決めた。そして又これが、日本の文明は、漢文明の模倣で始まった、と 誰も口先だけで言っている言葉の中身を成すものであった。」

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漢字から和語へ
posted by Fukutake at 07:56| 日記