2021年06月17日

亡き人からのはげまし

「私の夢まで、会いに来てくれた ー 3.11亡き人とのそれから ー」 東北学院大学 震災記憶プロジェクト 金菱清(ゼミナール)編  朝日文庫 2021年

p212〜

「語り手 亀井繁さん (亘理ぐん山元町に暮らす亀井繁さん(46歳)は、妻の宏美さん(当時39歳)と次女 の陽愛(ひなり)ちゃん(当時1歳10ヶ月)を津波で亡くした。

「...(繁さんは)二〇一七年五月三十日に、陽愛ちゃんの夢を見た。この日は陽愛 ちゃんが生きていれば八歳になる誕生日だった。 場所は、かつての自宅の風呂場。陽愛ちゃんは前日、熱を出したのだが、今日は熱 も下がり、パパと一緒に風呂に入れるようだ。 繁さんは陽愛ちゃんをたっぷり石鹸の泡で、体が見えなくくらい包み込むようにして 洗ってあげた。石鹸の香りこそ感じなかったが、陽愛ちゃんの腕の太さや肌の感触は あのころと変わらず、柔らかく温かかった。陽愛ちゃんはにこにこと笑っていた。 「夢の中の陽愛は、何年たっても成長しません。おむつを替えている赤ちゃんのころ の姿だったり、亡くなる直前の姿で、あのころ、よくしてくれたように、私の唇にぶちゅ とキスしてくれたり。一番可愛くてたまらなかった時期の姿で出て来てくれるんです。 私も陽愛もお互いが大好きでした。夢に見るのは、その気持ちを伝え合うようなもの ばかりなんです」 繁さんが見る宏美さんと陽愛ちゃんの夢は、繁さんと何かしらの交流があることが 多い。それも、肌を触れ合わせる感覚を伴っている。 二〇一六年一月六日に見た夢もそうだった。 繁さんと宏美さんは指切りをしている。
「何もしてあげられないよ」
「でも、信頼している」
「急がないから」
「待ってる」

一言一言、確かめるように宏美さんは話した。 「指切りをした手の感覚は、起きてからも鮮明に覚えていました。夢を思い出しなら が、『あの世から簡単に助けることはできない。でも、信頼しているからね。こちらに来 るのを待っているけど、急がないからね。そっちの世界で修行しておいで』と妻から言 われたような気がしました」 それから1ヶ月半ほどたった二月二十二日、繁さんは夢の中の宏美さんに「笑顔で 目の前に来て」と言われた。微笑みながら近づくと、宏美さんはこう言った。 「どこにも行かないよ」 一月六日と二月二十二日に宏美さんが語りかけてくれた言葉は繁さんの宝物に なった。
「浩美はどこにも行かず、姿は見えないけれど、そばにいてずっと見守ってくれてい る。そのことをはっきりと感じた夢でした。夢なんて誰でも見るでしょ、とか、脳が見せ ているだけと言う人もいるけど、私にとっては単なる夢ではないんです。夢の二人は、 魂の姿。だから、夢を見ることは、私にとって生きる力。これからも、浩美と陽愛も一 緒に、家族として生き続けることなんです」

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生きる力
posted by Fukutake at 09:58| 日記

人のこころ=もののあはれ

「本居宣長(上)」 小林秀雄 新潮文庫

もののあはれ p140〜

「さて、ここで「源氏物語」の味読による宣長の開眼に触れなければ、話は進むま い。開眼という言葉を使ったが、実際、宣長は、「源氏」を研究したというより、「源氏」 によって開眼したと言った方がいい。彼は、「源氏」を評して、「やまと、もろこし、いに しへ、今、ゆくさきにも、たぐふべきふみはあらじとぞおぼゆる」(「玉のおぐし」二の巻) と言う。異常な評価である。冷静な研究者の言とは受取れまい。率直は、この人の常 であるから、これは存のままの彼の読後感であろう。彼は「源氏」を異常な物語と読ん だ。これは大事なことである。宣長は、楫とりの身になった自分の問いに、「源氏」は 充分答えた、と信じた。有りようはそういう事だったのだが、問題は、彼自身が驚いた 程深かったのである。 「土佐日記」という、王朝仮名文の誕生のうちに現れた「もののあはれ」という片言 は、「源氏」に至って、驚くほどの豊かな実を結んだ。彼は、「あはれ」の用法を一つ一 つ綿密に点検はしたが、これを単に言語学者の資料として扱ったわけではないのだ から、恐らく相手は、人の心のように、いつも問う以上の事を答えたのであろう。ここで も、彼自身の言葉を辿ってみる。ー「すべて人の心といふものは、からぶみに書るご と、一トかたに、つきぎりなる物にはあらず、深く思ひしめる事にあたりては、とやかく やと、くだくだしく、めめしく、みだれあひて、さだまりがなく、さまざまのくまおほらかな る物なるを、此物語には、さるくだくだしきくまぐままで、のこるかたなく、いともくはし く、こまかに書きあらはしたること、くもりなき鏡にうつして、むかひたらぬがごとくに て、大かた人の情(ココロ)のあるやうを書るさまは、ー」という文に、先にあげた「やま と、もろこし」云々の言葉がつづくのである。 してみると、彼の開眼とは、「源氏」が、人の心を「くもりなき鏡にうつして、むかひた らむ」が如くにみ見えたという、その事だったと言ってもよさそうだ。その感動のうち に、彼の終生変らぬ人間観が定着したー 「おほかた人のまことの情といふ物は、女 童のごとく、みれんに、おろかなる物也、男らしく、きつとして、かしこきは、実の常にあ らず、それはうはべをつくろひ、かざりたる物也、実の心のそこを、さぐりてみれば、い かほどかしこき人も、みな女童にかはる事はなし。それをはぢて、つつむとつつまぬと のたがひめ計(ばかり)也」(「紫文要綱」巻下)。」だが、そこまで話を拡げまい。これ は、いずれ触れなければならない。」
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みな人は女童(めのわらは)なり。
posted by Fukutake at 09:38| 日記