2021年05月24日

看取り

「生と死のケアを考える」 編者 カール・ベッカー 宝藏館 2000年

来世を信じることは氏の不安をやわらげるかーがん医療の現場からー 藤田みさお

終末期医療におけるスピリチュアリティー p179〜

「終末期医療において、死の不安をやわらげることは、患者を囲む家族、知人、医 療スタッフが全員で取り組んでいくべき重要なケアの一部である。患者の不安によく 耳を傾け、決して聞き流したり単に励ますのではなく、充分に受け止めていくことで、 その人にとっての死の不安をやわらげるものは何かを考えていく必要がある。 がんを持つ患者の心理的ケアという仕事に関わる中で、死について考えることの重 要性を感じることは多い。誰だって死にたくはない。そして、社会には、死を避けるべ きものとしてタブー視する風潮があり、わたしたちは死を自分とは関係のないものとし て、あえて考えないようにしてしまう。しかし、このことがかえって私たちの死の不安を 膨らませてはいないだろうか。 一度自らの死に視点を移し、そこから逆に生を振り返ると、限りある人生を納得でき る充実したものにするために、今何をすべきかあらためて考えることができる。そのよ うに発想を転換するとこで、死を見つめ、不安と共存しながらも、一日一日を生き生き と前向きに送っている患者に、これまでにもたくさん出会ってきた。死を見つめること で、今の生をより充実したものにする。これは、病気か健康かに関わらず、わたしたち が生きていく上で非常に大切なことではないのか。
 それでも、「来世を信じることは死の不安をやわらげるか」というタイトルで原稿を書 くということが決まったときは、戸惑いを隠せなかった。死を考える重要性は感じてい ても、正直なところ、その後のこと、つまり死後の世界のことまでは思いが及ばなかっ た。先にも述べたように、終末期を迎えた患者に、不安をやわらげるためとはいえ、 「来世」というイメージを導入することは非常に難しい。また、本当にあの世が存在す るのかどうかと問われると、現代科学が証明できる範囲を超えており、実際のところ 筆者にもよくわからない。 ただ、あの世を信じることで実際に救われたり癒されたりする人がいる以上、科学で 証明されていないからといって、「来世」の問題を無視することはできない。また、日々 臨床に携わっていると、実際死後の世界をむやみに否定できないような気分になるこ とがある。生死の境をさまよったとき、どうもあの世らしきものを見てきたと話してくれ る患者がいる。治療上の大切な決定をしなければならない時に、亡くなったご家族が 枕元に立ってアドバイスをしてくれたという患者もいる。現場で困難にぶつかったと き、亡くなったある患者のことを偶然に思い出し、それが解決の糸口になることがあ る。数多くの出会いと別れの中で、人が死んでも決してすべてが終わりになるわけで はなおのではないか。そんな気がしてくるのである。
...
終末期資料の現場では、患者、医療者という立場を越えて、わたしたち一人ひとり がスピリチュアルにどういった存在なのか問われる場面も多い。 人は何のために生まれてくるのか、なぜ死ななければならないのか、人生をまっとう するとはどのように生きることか、死の先には何かあるのか。 患者を患者を囲む家族、知人、医療スタッフ全員の価値観が根底から試されること も少なくない。そうやって、わたしたち全員がお互いの関わりの中で影響し合い、学び 合うことでそれぞれがまた成長していく。 来世を信じることで死の不安がやわらぐとは必ずしも限らなかった。しかし、こうした 目に見えないもの、科学で明らかにされていないものによって、患者だけでなく、家族 や知人、医療スタッフも癒されることがある。わたしたちが患者、家族、医療スタッフと いった立場を超えて個人に戻り、こうしたスピリチュアリティーに対して謙虚に心を開 いていくところに、終末医療の内容を豊かにしていく可能性が秘められているのでは ナイァと筆者な考えている。」
----

看取りケア
posted by Fukutake at 11:06| 日記