「犯罪症候群」 別所実 ちくま学芸文庫 1992年
北一輝の場合 p284〜
「「大輝よ、此の経典は汝の知る如く父の刑死する迄読誦せる者なり。汝の生るると符節を合する如く突然として父は霊魂を見、神仏を見、此の法華経を誦持するに至れるなり。則ち汝の生るるとより父の臨終まで読誦せられたる至重至尊の経典なり。父は只此の法華経をのみ汝に残す。父の想ひ出さるる時、父の恋しき時、汝の行路に於いて悲しき時、迷へる時、怨み怒り悩む時、又楽しき時、嬉しき時、此の経典を前にして、南無妙法蓮華経と唱へ念ぜよ。然らば神霊の父、直ちに汝の為に諸神諸仏に祈願して汝の求むる所を満足せしむべし。経典を読誦し解説するを得るの時来たらば、父が二十余年間為せし如く、誦経三昧を以って生活の根本義とせよ。則ち其の生涯の如何を問わず、汝の父を見、父と共に活き而して諸神諸仏の加護指導の下に在るを得べし。父は汝に何物も残さず。而も此の無上最尊の宝珠を留むる者なり。」
これは二・二六事件で死刑になる直前、北一輝が、その息子(養子)大輝あに宛てて書いた遺書である。名文である。父が子に残す遺書というものは、常にかくあるべきである、という気さえする。法華経がどうのこうのという問題ではない。つまり、語るべきことはすべて法華経の内にある、ということを言っているのではないのだ。おそらく、法華経には何も書いていない。「此の経典を前にして南無妙法蓮華経と唱え念ぜよ」という言葉があるように、経典は一つの護符として機能するのであり、また「経典を読誦し解説するを得るの時来たらば」というのも「経典の思想を理解できるようになったら」という意味ではない。「そうなったら」、「その思想を生活の中に活かせ」と言っているのではなく、「誦経三昧を以って生活の根本義とせよ」と言っているからである。「経典を読誦し解説を得るの時」という言葉は「経典の思想を理解できるようになった時」という言葉とほとんど同義だが、「その思想を生活の中に活かせ」という言葉と「誦経三昧を以って生活の根本義とせよ」という言葉は、かなり違う。つまり、極く大ざっぱに言ってしまえば、「その思想を生活の中に活かせ」というのは内的制約であるが、「誦経三昧を以って生活の根本義とせよ」というのは外的制約である。…
近代以前においては、多くの「父」がそのようにして子に遺言し、護符と外的制約を引きついできたのであるが、同時に子はそれをそうさせた「父」の決意を引きつぎ、その強さを維持してきたのであった。」
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男の遺言。