2021年05月02日

日本の教育

「新編 日本の面影」 ラフカディオ・ハーン 池田雅之=訳 角川ソフィア文庫

日本の教育制度 「英語教師の日記から」から p289〜

 「近代日本の教育制度においては、教育はすべて最大限の親切と優しさをもって行われている。教師は文字通り教師(teacher)であって、英語の“mastery”の意味におけるような支配者ではない。教師は、彼の教え子たちに対し、年上の兄のような立場にある。教師は、自分の考えを生徒に押しつけようとしたりしない。教師は、決して頭から叱りつけるようなことはせず、生徒を非難することもなく、懲罰を与えるようなことは決してない。日本の教師で生徒を殴る者はいない。もしそのような行為をしたら、その教師はすぐに職を追われるだろう。平静さを失って怒ることもない。そんなことをすれば、教え子たちや、同僚たちの眼の前で、自分を貶めたことになるからである。

 実際の話、日本の学校には懲罰というものが存在しない。たまには、ひどいいたずら小僧が、休み時間に教室から出してもらえないこともあるが、こんな軽い罰でさえも教師が直接与えるのではなくて、教師の訴えを聞いた校長先生が科すのである。このような場合のねらいは、楽しみを取り上げて苦痛を与えようというのではなくて、ひとつの過ちをみんなの見せしめにするのである。そして、多くの実例をみても、こんなふうに仲間の前で自分の過ちを反省させられると、少年は、二度とその過ちを繰り返すことはなくなるのである。出来の悪い生徒に、無理矢理に勉強を押しつけたり、ただ目を疲れさせるために四百行も五百行も文字を書き写させる、といったような残酷な懲罰は、日本では想像できない。万が一、そんな懲罰があったとしたら、現在のこの状況においては、生徒自身が黙っていないだろう。…

 学校から家に帰る途中、お城の広場を抜けて近道をしていると、しばしば楽しげな光栄に出くわす。三十人くらいの小さな男の子たちが、着物に草履履きの帽子を被らない格好で、これも和服を着た若いハンサムな先生から、行進しながら歌を教わっている。男の子たちは、歌いながらみんなで列を作り、小さな素足で拍子をとっている。先生は高めの澄んだ、明るいテノールで、列の先頭に立って、歌の一節を歌う。するとそのあとについて、子供たちが一斉に歌う。それから、先生が二つ目の節を歌うと、子供たちが繰り返す。もし誰かが歌い間違えると、もう一度歌い直さなくてはならない。
 その歌は、日本でもっとも高貴な英雄であり、愛国者でもあった楠木正成の歌である。」

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大楠公の歌か。(参考 www.youtube.com/watch?v=U8yjnEu0QJY)
posted by Fukutake at 07:05| 日記