2021年05月12日

北一輝の遺言

「犯罪症候群」 別所実 ちくま学芸文庫 1992年

北一輝の場合 p284〜

 「「大輝よ、此の経典は汝の知る如く父の刑死する迄読誦せる者なり。汝の生るると符節を合する如く突然として父は霊魂を見、神仏を見、此の法華経を誦持するに至れるなり。則ち汝の生るるとより父の臨終まで読誦せられたる至重至尊の経典なり。父は只此の法華経をのみ汝に残す。父の想ひ出さるる時、父の恋しき時、汝の行路に於いて悲しき時、迷へる時、怨み怒り悩む時、又楽しき時、嬉しき時、此の経典を前にして、南無妙法蓮華経と唱へ念ぜよ。然らば神霊の父、直ちに汝の為に諸神諸仏に祈願して汝の求むる所を満足せしむべし。経典を読誦し解説するを得るの時来たらば、父が二十余年間為せし如く、誦経三昧を以って生活の根本義とせよ。則ち其の生涯の如何を問わず、汝の父を見、父と共に活き而して諸神諸仏の加護指導の下に在るを得べし。父は汝に何物も残さず。而も此の無上最尊の宝珠を留むる者なり。」

 これは二・二六事件で死刑になる直前、北一輝が、その息子(養子)大輝あに宛てて書いた遺書である。名文である。父が子に残す遺書というものは、常にかくあるべきである、という気さえする。法華経がどうのこうのという問題ではない。つまり、語るべきことはすべて法華経の内にある、ということを言っているのではないのだ。おそらく、法華経には何も書いていない。「此の経典を前にして南無妙法蓮華経と唱え念ぜよ」という言葉があるように、経典は一つの護符として機能するのであり、また「経典を読誦し解説するを得るの時来たらば」というのも「経典の思想を理解できるようになったら」という意味ではない。「そうなったら」、「その思想を生活の中に活かせ」と言っているのではなく、「誦経三昧を以って生活の根本義とせよ」と言っているからである。「経典を読誦し解説を得るの時」という言葉は「経典の思想を理解できるようになった時」という言葉とほとんど同義だが、「その思想を生活の中に活かせ」という言葉と「誦経三昧を以って生活の根本義とせよ」という言葉は、かなり違う。つまり、極く大ざっぱに言ってしまえば、「その思想を生活の中に活かせ」というのは内的制約であるが、「誦経三昧を以って生活の根本義とせよ」というのは外的制約である。…

 近代以前においては、多くの「父」がそのようにして子に遺言し、護符と外的制約を引きついできたのであるが、同時に子はそれをそうさせた「父」の決意を引きつぎ、その強さを維持してきたのであった。」

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男の遺言。
posted by Fukutake at 08:09| 日記

2021年05月11日

ただそれだけのことですか?

「現代語訳 論語」宮崎市定 岩波現代文庫

憲問第14 より p244〜

「(訓) 子曰く、賢者は世を辟く。其の次には地を辟く。其の次には色を辟く。其の次 には言を辟く。

(新訳)子曰く、(政治が乱れて危険な時には)賢者は世事から遠ざかって隠居する。 それでもまだ危険なら、違った場所へひっこしする。それでもまだ危険なら、人相の悪 い人間とつきあわない。それでもまだ危険なら、迂闊なことを言う人間と話さない。
普通に其次以下を、次賢者、次次賢者、次次次賢者と言う風に解釈するが、それで は最後の次次次賢者とはどの程度の人間か分からない。どうもこういう層序法はあま り例を見ない。こういう際には段階に応じて、別の形容詞を用いるか、少くも最後へ 行って、下なる者とか、愚者とかで結ばなければ、たれ流しになってしまう。更に色、 言の解釈も君主の顔色、君主の言語では、上とつながりが悪くて納得しがたい。其次 を、次の段階では、と副詞に読めば解釈がつきやすくなる。」

p248〜 「(訓)子路、君子を問う。子曰く、己を脩(おさ)むるに敬を以てす。曰く、斯の如きの みか。曰く、己を脩めて以て人を安んず。曰く斯の如きのみか。曰く、己を脩めて以て 百姓を安ずんぜん。己を脩めて以って安んずるは、尭舜も其れ猶をこれを病めり。

(新訳)子路が修養の目標たる君子の如何なるものかを尋ねた。子曰く、己を正しく 保って謹慎を失わぬ人だ、曰く、ただそれだけのことですか。曰く、己を正しく保てば、 自然に周囲の人たちの心を平和にすることができる。曰く、ただそれだけのことです か。曰く、己を正しくすれば、最後に天下の百姓の心まで平和にすることさえ可能では なかろうか。天下の百姓の心を平和にすることは、尭舜のような聖天子にとってさえ、 容易ならざる難事業であったのですぞ。
この条の終の方で、脩己以安百姓の句が二回繰返されるが、初の句は上を受け て、子路の質問に直接答え、次の句は自分の言った言葉に対する補足的説明のた めであって下へ続くから、両者の語気が全く違わなければならない。私の考えではこ う言う場合、初の句の終に何らかの助詞が必要だと考える。そして助詞を入れるなら ば焉が最も適当であろう。問い詰められて答える場合にはしばしばこの焉が用いられ る。」

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如斯而已乎 ただそれだけのことですか!?
posted by Fukutake at 11:26| 日記

2021年05月10日

いわゆる英国クラブ

「イギリスだより」 カレル・チャペック 飯島周 編訳 ちくま文庫 2007年

ロンドンのクラブ p72〜

「このことをお話しするのに、遠慮せねばならぬわけがあるだろうか。そうなのだ、わ たしは、ロンドンのもっとも閉鎖的な高級クラブのいくつかに紹介されるという、、身に あまる栄誉を与えられた。これは、どの旅人の身の上にも起こるようなことではない。 どんな様子なのか、説明を試みよう。

あるクラブは、とても有名で、創立百年の歴史があり、限りなくおごそかである。この クラブには、ディケンズ、ハーバート・スペンサー、その他多くの有名人が籍をおいた。 その人たちの名前を、そこの給仕長か執事か、あるいはドアマンか(さもなければ、 いったい、何だったのだろう)が、わたしにすべて教えてくれた。 その人物は、その作家たちの作品を全部読んでいるらしい。とても貴族的で威厳に みちていて、まるで文書記録保管所のお役人のようだった。その人が、この歴史的な 御殿全体を案内してくれた。図書室、読書室、古い金属彫刻、暖房つきの化粧室、浴 室、由緒ある肘かけ椅子、紳士がたの喫煙用サロン、書き物をしたり喫煙したりする 別のサロン、喫煙したり物を読んだりするもう一つのサロン。どこへ行っても、名誉と 古い肘かけ椅子の匂いが漂っている。

わが国の伝統は、こんなに古い、同時に座り心地のよい安楽椅子の上には置かれ ていない。座るべきものがないので、伝統は宙に浮いてしまっているのだ。そんなこと を考えたのは、由緒ある椅子の一つに座る名誉を与えられたときだった。わたしに とっては、少しばかり歴史的な固苦しい出来事だったが、その点を除けば、まったく座 り心地のよいものであった。 わたしは、そのあたりにいる歴史的人物たちを、それとなくのぞいてみた。その人た ちの一部は壁にかかっており、一部は安楽椅子に身を沈めて、『パンチ』誌や紳士録 を読んでいた。誰もひとこともしゃべらず、ほんとうに威厳にみちている。わが国も、こ のように沈黙にみちた場所を持つべきである。一人の紳士が、二本のステッキをつい て部屋の中をとぼとぼと歩いているが、「すばらしい格好だよ」などと悪意にみちたこ とを口にする者は、誰もいない。別の人物は新聞にすっかり埋没して(その顔は見え ない)、誰かと政治について語ろうなどという、強い必要は感じていないようだ。 ヨーロッパ大陸の人たちは、語ることに最大の重要性をおくが、イギリス人は、沈黙 をもって尊しとする。このクラブにいる人たちは、全員、王立学士院の会員か、有名人 の死体か、または元大臣たちであるように思えた。誰も、何もしゃべらないのだから。 わたしが入ってきたときも、誰もわたしのことを見なかったし、出てきたときも、誰も ふり向かなかった。つい声を立てて笑ってしまうという不始末をしでかした。それでも、 誰もわたしのほうをふり向かなかった。」

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気取った英国人気質が想像できます
posted by Fukutake at 08:11| 日記