「本居宣長(上)」 小林秀雄 新潮文庫
p64〜
「今日、私達が、学問の方法と呼ぶものは、悟性の正しい使用法と言う考えを基本 としたものであり、従って方法の可否は、直ちに学問の成績を規定するが、宣長が、 「学びやうの法」という言葉を使う時、これは、ひどく異なった意味合いを帯びる。晩年 書かれた「うひ山ぶみ」は、彼の「学びやうの法」を説いたものだが、これを、彼の「学 問の方法論」と言って済ますことは出来ない。彼は、門人達の求めに応じて、「やむを えず」これを書いたのだが、このような仕事には、一向気が進まない、と初めにはっき り断っている。説き終わって、一首、「いかならむ うひ山ぶみの あさごろも 浅きす そ野の しるべばかりも」 ー 彼は、「学びやうの法を正す」という事について、深い 疑念を持っていた。法は一様であろうが、これに処する人の心は様々である。正しい 法を「さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにて、果たしてよ きものならんや、又思ひの外に、さてはあしき物ならんや、実ははしりがたきことなれ ば、これもしひて定めがたきわざにて、実は、ただ其人の心まかせにしてよき也」、そ ういう考えである。 そこで宣長ははっきりと断言出来るのは、「詮ずるところ、学問は、ただ年月長く、倦 まず、おこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」ということだけになる。これさえ出来て いれば、「学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也」。宣 長が、本当に言いたいことは、これだけなのである。しかし、そう言って了っては、「初 心の輩は、取りつきどころなくして、おのづから倦(ウミ)おこたるはしともなることなれ ば、やむことをえず」というわけで、話は又同じところにもどる。己の学問の成熟を確 信した大学者が、学問の方法について、何故これほど懐疑的なのか。これは、彼の 学問を、現代風に「もどく」ことを中止すれば、愚問に過ぎない。種は、既に「あしわけ をぶね」で繙かれている。彼は、それを育てただけである。
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宣長の古典研究の眼目は、古歌古書を「我物」にする事、その為の「見やう、心の 用ひやう」にあった。「玉かつま」で、彼は、「考へ」とは、「むかえ」の意だと言ってい る。彼が使う「考へる」という言葉の意の極まるところ、対象は、おのずから「我物」と なる筈なのだ。契沖の「説ノ趣ニ本ヅキテ、考ヘミル時ハ」とは、古歌との、他人他物 を混えぬ、直かな交わりという、我が身の全的な経験が言いたいのだし、「歌ノ本意ア キラカニシテ、意味ノフカキ処マデ、心ニ徹底スル也」とは、この経験の深化は、相手 との共感に至る事が言いたいのである。ここに注目すれば、彼が「学びやうの法」を 説こうとして、気がすすまぬ理由も氷解するだろう。文献的事実とは人間の事だ。彼 が荷っている「意味ノフカキ処」を知るには、彼と親しく交わる他に道はない。これが、 宣長が契沖から得た学問の極意であった。」
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大著「本居宣長」へ挑戦。
2021年05月25日
ハイチの三島由紀夫
「外遊日記」三島由紀夫のエッセイ3 ちくま文庫 1995年
旅の絵本より p93〜
「ポートオ・プランス(ハイチの首都)
黒人共和国ハイチの首都ポートオ・プランスでは、私が去って間もなく、戒厳令がしかれたということを新聞で読んだ。アメリカ人がハイチをよろこぶのは、ニューヨークから数時間の飛行でアフリカのにおいをかげるためだという。事実ここにはアフリカ的なものが根強く残っており、ほんの少数の富裕なインテリの黒人は、そういう民衆から隔絶して、ラシイヌやモリエールを論じている。
山の中腹に市がたっていて、そこで売っているもののきたならしさにはびっくりした。牛だか、羊だかの腸を乾燥させたものや、干魚など、それにぎっしりハエがたかっている。ハエはまるでなくてはならない薬味のように、金カンに似たカシュウ・ナットにも小さな青い丸いレモンにも、パンにも、砂糖菓子にもたかっている。黒い豚や山羊がつながれ、ロバに乗ってくる女もある。
市中でタクシーに乗っていたとき、道の途中で手をあげた男が車を止めて勝手に私のとなりへすわり込み、勝手に行先を命じて、金も払わず下りてゆくのに私はあきれて、おこる気もしなかったが、運転手にいわすと、あれは移民官だから仕方がないというのであった。
海岸公園のココヤシの下を、カリブ海を見わたしながら歩む夕方の散歩も、しばしば追いかけてくるハダシの子の「ユー・アー・パンアメリカン? ギブ・ミー・マネー」という叫びにさまたげられた。」
(昭和三十三年一月二十一日・毎日新聞)
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旅の絵本より p93〜
「ポートオ・プランス(ハイチの首都)
黒人共和国ハイチの首都ポートオ・プランスでは、私が去って間もなく、戒厳令がしかれたということを新聞で読んだ。アメリカ人がハイチをよろこぶのは、ニューヨークから数時間の飛行でアフリカのにおいをかげるためだという。事実ここにはアフリカ的なものが根強く残っており、ほんの少数の富裕なインテリの黒人は、そういう民衆から隔絶して、ラシイヌやモリエールを論じている。
山の中腹に市がたっていて、そこで売っているもののきたならしさにはびっくりした。牛だか、羊だかの腸を乾燥させたものや、干魚など、それにぎっしりハエがたかっている。ハエはまるでなくてはならない薬味のように、金カンに似たカシュウ・ナットにも小さな青い丸いレモンにも、パンにも、砂糖菓子にもたかっている。黒い豚や山羊がつながれ、ロバに乗ってくる女もある。
市中でタクシーに乗っていたとき、道の途中で手をあげた男が車を止めて勝手に私のとなりへすわり込み、勝手に行先を命じて、金も払わず下りてゆくのに私はあきれて、おこる気もしなかったが、運転手にいわすと、あれは移民官だから仕方がないというのであった。
海岸公園のココヤシの下を、カリブ海を見わたしながら歩む夕方の散歩も、しばしば追いかけてくるハダシの子の「ユー・アー・パンアメリカン? ギブ・ミー・マネー」という叫びにさまたげられた。」
(昭和三十三年一月二十一日・毎日新聞)
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posted by Fukutake at 08:13| 日記
2021年05月24日
看取り
「生と死のケアを考える」 編者 カール・ベッカー 宝藏館 2000年
来世を信じることは氏の不安をやわらげるかーがん医療の現場からー 藤田みさお
終末期医療におけるスピリチュアリティー p179〜
「終末期医療において、死の不安をやわらげることは、患者を囲む家族、知人、医 療スタッフが全員で取り組んでいくべき重要なケアの一部である。患者の不安によく 耳を傾け、決して聞き流したり単に励ますのではなく、充分に受け止めていくことで、 その人にとっての死の不安をやわらげるものは何かを考えていく必要がある。 がんを持つ患者の心理的ケアという仕事に関わる中で、死について考えることの重 要性を感じることは多い。誰だって死にたくはない。そして、社会には、死を避けるべ きものとしてタブー視する風潮があり、わたしたちは死を自分とは関係のないものとし て、あえて考えないようにしてしまう。しかし、このことがかえって私たちの死の不安を 膨らませてはいないだろうか。 一度自らの死に視点を移し、そこから逆に生を振り返ると、限りある人生を納得でき る充実したものにするために、今何をすべきかあらためて考えることができる。そのよ うに発想を転換するとこで、死を見つめ、不安と共存しながらも、一日一日を生き生き と前向きに送っている患者に、これまでにもたくさん出会ってきた。死を見つめること で、今の生をより充実したものにする。これは、病気か健康かに関わらず、わたしたち が生きていく上で非常に大切なことではないのか。
それでも、「来世を信じることは死の不安をやわらげるか」というタイトルで原稿を書 くということが決まったときは、戸惑いを隠せなかった。死を考える重要性は感じてい ても、正直なところ、その後のこと、つまり死後の世界のことまでは思いが及ばなかっ た。先にも述べたように、終末期を迎えた患者に、不安をやわらげるためとはいえ、 「来世」というイメージを導入することは非常に難しい。また、本当にあの世が存在す るのかどうかと問われると、現代科学が証明できる範囲を超えており、実際のところ 筆者にもよくわからない。 ただ、あの世を信じることで実際に救われたり癒されたりする人がいる以上、科学で 証明されていないからといって、「来世」の問題を無視することはできない。また、日々 臨床に携わっていると、実際死後の世界をむやみに否定できないような気分になるこ とがある。生死の境をさまよったとき、どうもあの世らしきものを見てきたと話してくれ る患者がいる。治療上の大切な決定をしなければならない時に、亡くなったご家族が 枕元に立ってアドバイスをしてくれたという患者もいる。現場で困難にぶつかったと き、亡くなったある患者のことを偶然に思い出し、それが解決の糸口になることがあ る。数多くの出会いと別れの中で、人が死んでも決してすべてが終わりになるわけで はなおのではないか。そんな気がしてくるのである。
...
終末期資料の現場では、患者、医療者という立場を越えて、わたしたち一人ひとり がスピリチュアルにどういった存在なのか問われる場面も多い。 人は何のために生まれてくるのか、なぜ死ななければならないのか、人生をまっとう するとはどのように生きることか、死の先には何かあるのか。 患者を患者を囲む家族、知人、医療スタッフ全員の価値観が根底から試されること も少なくない。そうやって、わたしたち全員がお互いの関わりの中で影響し合い、学び 合うことでそれぞれがまた成長していく。 来世を信じることで死の不安がやわらぐとは必ずしも限らなかった。しかし、こうした 目に見えないもの、科学で明らかにされていないものによって、患者だけでなく、家族 や知人、医療スタッフも癒されることがある。わたしたちが患者、家族、医療スタッフと いった立場を超えて個人に戻り、こうしたスピリチュアリティーに対して謙虚に心を開 いていくところに、終末医療の内容を豊かにしていく可能性が秘められているのでは ナイァと筆者な考えている。」
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看取りケア
来世を信じることは氏の不安をやわらげるかーがん医療の現場からー 藤田みさお
終末期医療におけるスピリチュアリティー p179〜
「終末期医療において、死の不安をやわらげることは、患者を囲む家族、知人、医 療スタッフが全員で取り組んでいくべき重要なケアの一部である。患者の不安によく 耳を傾け、決して聞き流したり単に励ますのではなく、充分に受け止めていくことで、 その人にとっての死の不安をやわらげるものは何かを考えていく必要がある。 がんを持つ患者の心理的ケアという仕事に関わる中で、死について考えることの重 要性を感じることは多い。誰だって死にたくはない。そして、社会には、死を避けるべ きものとしてタブー視する風潮があり、わたしたちは死を自分とは関係のないものとし て、あえて考えないようにしてしまう。しかし、このことがかえって私たちの死の不安を 膨らませてはいないだろうか。 一度自らの死に視点を移し、そこから逆に生を振り返ると、限りある人生を納得でき る充実したものにするために、今何をすべきかあらためて考えることができる。そのよ うに発想を転換するとこで、死を見つめ、不安と共存しながらも、一日一日を生き生き と前向きに送っている患者に、これまでにもたくさん出会ってきた。死を見つめること で、今の生をより充実したものにする。これは、病気か健康かに関わらず、わたしたち が生きていく上で非常に大切なことではないのか。
それでも、「来世を信じることは死の不安をやわらげるか」というタイトルで原稿を書 くということが決まったときは、戸惑いを隠せなかった。死を考える重要性は感じてい ても、正直なところ、その後のこと、つまり死後の世界のことまでは思いが及ばなかっ た。先にも述べたように、終末期を迎えた患者に、不安をやわらげるためとはいえ、 「来世」というイメージを導入することは非常に難しい。また、本当にあの世が存在す るのかどうかと問われると、現代科学が証明できる範囲を超えており、実際のところ 筆者にもよくわからない。 ただ、あの世を信じることで実際に救われたり癒されたりする人がいる以上、科学で 証明されていないからといって、「来世」の問題を無視することはできない。また、日々 臨床に携わっていると、実際死後の世界をむやみに否定できないような気分になるこ とがある。生死の境をさまよったとき、どうもあの世らしきものを見てきたと話してくれ る患者がいる。治療上の大切な決定をしなければならない時に、亡くなったご家族が 枕元に立ってアドバイスをしてくれたという患者もいる。現場で困難にぶつかったと き、亡くなったある患者のことを偶然に思い出し、それが解決の糸口になることがあ る。数多くの出会いと別れの中で、人が死んでも決してすべてが終わりになるわけで はなおのではないか。そんな気がしてくるのである。
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終末期資料の現場では、患者、医療者という立場を越えて、わたしたち一人ひとり がスピリチュアルにどういった存在なのか問われる場面も多い。 人は何のために生まれてくるのか、なぜ死ななければならないのか、人生をまっとう するとはどのように生きることか、死の先には何かあるのか。 患者を患者を囲む家族、知人、医療スタッフ全員の価値観が根底から試されること も少なくない。そうやって、わたしたち全員がお互いの関わりの中で影響し合い、学び 合うことでそれぞれがまた成長していく。 来世を信じることで死の不安がやわらぐとは必ずしも限らなかった。しかし、こうした 目に見えないもの、科学で明らかにされていないものによって、患者だけでなく、家族 や知人、医療スタッフも癒されることがある。わたしたちが患者、家族、医療スタッフと いった立場を超えて個人に戻り、こうしたスピリチュアリティーに対して謙虚に心を開 いていくところに、終末医療の内容を豊かにしていく可能性が秘められているのでは ナイァと筆者な考えている。」
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看取りケア
posted by Fukutake at 11:06| 日記