宮崎市定全集 17 −中国文明−」 岩波書店 1993年
隋唐文化の本質 p292〜
「普通に隋唐の文化は豪壮雄大な気分が横溢したもののように考えられているようだが、私の見る所はそうではない。いったい中国はいつの時代でも日本のようにこせこせした所はないので、日本の物差しで計ると間違いのもとになる。中国の長い歴史の上から見ると、隋唐の貴族文化は、漢代に比べてずっと繊細になり、同時にどこの国の貴族にも共通な弱点を示している。その一つは無駄が多いことである。いらぬ所にまで、べったり模様をならべて小細工が多すぎる。容器の柄のいらぬ所へ鳥をとまらせたりして悦にいっている。出来るだけ無駄をすることが貴族の間の自慢なのであった。材料を必要以上にふんだんに使うのも貴族の好尚である。あの部厚い銅鏡は重すぎてさぞかし不便だったろうと思う。
貴族文化は一面において工匠、職人の文化である。都市には職人のギルドがあり、貴族の隷民の中にも職人があって、専門の技能を磨いていた。彼らは貴族の好尚に応ずるように努力して生産に従事した。隋唐文化には、強い西アジアの影響がみられるが、その西アジアも当時は貴族時代であった。彼らの技術は細部に対しては、必要以上に気を配るが、さて全体の美的効果はという点になると、案外おかまいなしである。実用的な合理性ということをほとんど考えない器物もある。これは仕事を職人に任せすぎた結果であろう。
貴族文化のいい所は、材料を精選し、まやかし物を嫌う点にある。織物の染色などに千有余年を経た今日、目のさめるような鮮やかなものもある。壁画は大して貴族的要素をもたないが、それでもやはりいい絵具を使っている。土偶の馬はいずれも体格がよくて名馬の相を具えているが、これも当時の貴族社会に趣味として乗馬が流行していたことの反映であろう。
工人の仕事は当然マンネリズムに陥る。人に頼まれて壁画を描く画工は
千篇一律に同じような仏像を同じような施主の男女像を描き続けていた。それが唐のころから、画工の絵ではない、画家の絵が盛んになり出した。王維の筆と伝えられる伏生授経図などがそれである。アルチザンの絵ではなくて、アーチストの絵である。これが宋以後、いわゆる士大夫画となって画壇の本流を占めるようになった。職人だけに任せず、知識階級が文化の指導に乗り出したのが宋の文化である。」
-----
隋唐文化の長所と弱点を見抜く。