2021年04月10日

人付き合いについて

「ベーコン」 世界の名著25 責任編集 福原麟太郎 中央公論社 

随筆集より「身だしなみについて」 p218〜

 「ただ、まじめだけという人は、ひどく、たくさんのいろいろの特性をもっている必要があるだろう。たとえば、引きたてるための下敷きなしにしておく宝石は、非常にりっぱなものである必要があるのと同じである。しかし、人がよく注意するなら、人に対する賞賛や喝采は、ものを得ることやもうけることと同じである。というのは「少しずつもうけが重い財布になる」という諺は、真実である。少しずつのもうけは、しじゅう起こる。しかし大きなのは、ときたまにしか起こらないからである。だから、真実だといえるのだが、小さな問題が、大きな喝采を得るのはしじゅう起こっており、注意を惹くからである。ところが、何か大きな徳性の機会は、お祭りのときといっていいくらいしか、めったに起こるものではないのである。だから、人の名声を非常に増すことになるものであり、絶えることのない推薦状みたいなものであるといえるのが、よい身だしなみをもっているということなのである。

 それらを身につけるのには、それらを、ばかにしないことでも、十分といえるくらいである。というのは、そうすれば、他人の内にあるそういうものを人は注意して見るようになるだろう。そして他のことは自分の思うとおりにやるようにさせればよい。というのは、あまり骨を折って、それらをあらわそうとすれば、その品のよさを失うことになるだろう。それには、自然で気どりのないことが大切なのである。ある人々の動作の中には、韻文の場合の一つ一つの綴りが韻律をふんでいるみたいなものもある。心を小さな観察に向けすぎる人間が、どうして大きな問題をつかむことができようか。…

 一般に他人のいうことに賛成しながら、しかし、自分自身のことも少しつけ加えるというのが、心がまえとしてよい。たとえば、相手の意見を認めるのであれば、何か同時にちがったことをいうのである。相手の申し出に従うなら、条件をつけるようにするのである。相手の忠告をいれるなら、さらにそれ以上の理屈を述べてのうえでそうするのである。人は、ほめるときに、あまり完全になりすぎないように注意する必要がある。というのは、それらの人は、他の点でも、いくら有能であるにしても、ねたむ者は、そんなふうに、ほめすぎる性質が、その人たちにあるというようになるにきまっている。…
  賢明な人は、機会を見つけるというより、むしろつくるものである。人の行動は着物と同じものでありたい。あまりにきゅうくつすぎたり、きちょうめんすぎるのでなく、自由で運動ができ。動作の楽なものがよい。」

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他人に対しては、少し親しみやすくしながら、威厳をもて。

posted by Fukutake at 19:51| 日記

ヒットラア

「小林秀雄全集 第十二巻」− 考へるヒント− 新潮社版 平成十三年

ヒットラアと悪魔 p151〜

 「…専門的政治家達は、準備時代のヒットラアを、無智なプロパガンディストと見なして、高を括ってゐた。言つてみれば、彼等に無智と映ったものこそ、實はヒットラアの確信そのものであつた。少なくとも彼等は、プロパガンダのヒットラア的な意味を間違へてゐた。彼はプロパガンダを、單に政治の一手段と解したのではなかつた。彼には、言葉の意味などといふものが、全く興味がなかつたのである。プロパガンダの力としてしか、凡そ言葉といふものを信用しなかつた。これは殆ど信じ難い事だが、私はさう信じてゐる。あの數々の残虐が信じ難い光景なら、これを積極的に是認した人間の心性の構造が、信じ難いのは當り前の事だと考へてゐる。彼は、死んでも嘘ばつかりついてやると固く決意し、これを實行した男だ。つまり、通常の政治家には、思ひも及ばぬ完全な意味で、プロパガンダを遂行した男だ。だが、これは、人間は獸物だといふ彼の人性原理からの當然な歸結ではあるまいか。人間は獸物だぐらゐの意見なら、誰でも持つてゐるが、彼は實行を離れた單なる意見など抱いてゐたのではない。

 三年間のルンペン収容所の生活で、周圍の獸物達から、不機嫌な變り者として、うとんぜられながら、彼が體得したのは、獸物とは何を置いても先ず自分自身だといふ事だ。これは根底的な事實だ。それより先に行きやうはない。よし、それならば、一番下劣なものの頭目に成つてみせる。昂奮性と内攻性とは、彼の持つて生れた性質であつた。彼の所謂収容所といふ道場で鍛へ上られたものは、言はば絶望の力であつた。無方針な濫讀癖で、空想の種には困らなかつた。彼が最も嫌つたものは、勤勞と定職とである。當時の一證人の語るところによれば、彼は、やがて戰争が起るのに、職など馬鹿げてゐると言つてゐた。出征して、毒ガスにやられた時、おそらく彼の憎悪は完成した。勿論、一生の方針が定つてからは、彼は本當の事は喋らなかつた。私も諸君と同じやうに、一勞働者として生活して来たし、一兵卒として戰つて来た、これが彼の演説のお題目であつた。

 ヒットラアは、十三階段を登らずに、自殺した。もし彼が縊死したとすれば、スタヴロオギンのやうに、愼重に縄に石鹼を塗つたに違ひない。…」


(「文藝春秋」<考へるヒント>、昭和三十五年五月)

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posted by Fukutake at 08:35| 日記