「ジャーナリスト 漱石 発言集」 牧村健一 編 朝日文庫 2007年
博士号辞退について、新聞記者が病み上がりの漱石のもとを訪れ、意見を聞いた。P123〜
「はあ、私は知りませんよ退院した許(ばか)りで知己友人の許へ病気見舞の返礼抔に廻つて丈で文部省の人達には未だ誰にも会ません、殊に公然文部省から何の通知にも接しないのですからねえ、はあさうですか一体那様(そんな)に六ケしいものなら前以て友人を通じてでも私の内意を確かた上で発表したら好かつたのです。明治も四十四年になつたんだもの博士を人が誰も難有がつて頂戴すると思うふのが間違です、自分は威信を保つ必要もあるでせうが夫(それ)と同時に文部省は人の自由意志をも尊重しなければならぬと思ふのです。通知を受けたが最後厭応なしに押附けられねばならぬと云ふに至ては全然学位の押入女房ですからねえ。人の迷惑も察して貰ひたいものです。私だって戯談(じょうだん)半分に返したんぢやないんですから今更何(ど)うも洵(まこと)に困るぢやありませんか。文部省の参事官連が相談して辞退することが出来ないと決定したからと云って元来法令に辞退するを得(う)とも辞退することを得ずとも何とも明文が記載してないんだから夫を参事官連が文部省の都合の好い様に所謂認定をするならば私は私の都合の好い様に認定する迄です。要するに之は法令上の問題であって文部省が受取って呉ないならば夫ぢゃ私は博士は不用なんだから何処へ返しに行けば可(よ)いのですかと聴きに行のですね。夫で分からなければ行政裁判所も可笑しいが那様所へでも持って行くのですかね、結局は文部省は私に何しても博士を呉れたと云、私は何うしても貰わぬと云ふ此儘で幾年か経過すれば世間の人達は私が博士を辞退したのだと云ふことは忘れて仕舞ふでせうから文部省は何所迄も私を博士にして仕舞って私を文學博士夏目金之助と呼ぶのでせう、が私は唯の夏目なにがしで暮らしたいんですからさう云ふことは甚だ迷惑千万です、止むを得ずんば其都度私は博士でないと云ことを新聞に広告するんですね、一体前例前例と云って人の自由意志を蹂躙するのは甚だ感服出来ないことぢやありませんか、夫は成程電車は何れも極つて前の電車の後を逐つ駆けるでせう、が人間は電車ぢやありませんからねえ云々」
(『中央新聞』明治四十四年三月七日付談話)
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偽善からの遁走
「アランの幸福論」 アラン
ディスカヴァー・トウェンティーワン 2007年
兵士としての隷従 p125〜
「戦争の三年間、民間人としての隷従よりも兵士としての隷従を選ぶようにわたしに決意させたのは、好奇心を別にすれば、愚者どもがふたたび幅をきかせるだろうという、わたしが当初からいだいた思いだった。かの大きな不幸の第一日目から、僧侶たちは舗石のあいだにから姿を現わしてくるらしかった。だが、それはまだ、たいした不幸ではなかった。力ずくで僧侶たちの教説に引きもどされてしまったとしても、まだそれを利用することはできたのだから。人間の発達段階のひとつだったその教説のうちになら、あらゆる人間の思考はまあまあ居心地のよい牢獄を自分のためにつくり出すことができるのだ。ところがわれわれは、もっとはるかに悪いことに出会わねばならなかったのである。体制的な考え方が警察によって規制され監視されるようになると、その体制的な考え方は、平均的警官の水準まで落ちざるをえなかった。この種の下役は、あらゆる時代にきわめて役に立つ存在だが、言葉をよく吟味する習慣を持たないから、うわべだけの意見を適当にまとってみせることも許されなかった。政治家や文学者は、彼らの言説において、なにひとつ注目を惹くようなことはそぶりにも見せてはならぬという条件に服したのである。なぜなら、秩序を確保する手先どもにとっては、注目と嫌疑とはおなじものだからだ。この結果、ある人間たちは低められ、別の人間たちは高められた。これが愚者たちの支配とわたしが呼ぶものだ。このような世論の警察が必要だったかどうかについては、ここで検討したくない。戦争の遂行がこのようなとりわけ非人間的な結果をもたらすということは、けっして意外とされるべきではない。精神の奴隷より肉体の奴隷の方がましだと考えて、わたしは軍隊に逃げ込んだのだ。
この決断は正しかったし。わたしは一度もそれを後悔したことはない。苛酷な行動は、それがいかなる虚言も、さらには、いかなる判断の誤りも許さないという点でつねに好ましいものだ。力のみが役割を演じていたかの辺境においては、偽善は息絶えた。目的は有無を言わさぬものだったが、判断はそのなかで自由を見出していた。当然の結果として、暇なときの思考も健全なものだった。無学な多くの者たちが、長い不寝番の折など、月の運行や、星々の不動のたたずまいや、いちばんよく見える惑星たちの動きにまで興味をいだいた。言説そのものも、おなじように、歯切れのいい、率直なものになった。…」
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治安(検閲、自粛etc)警察という名の愚者支配からの兵役遁走
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ディスカヴァー・トウェンティーワン 2007年
兵士としての隷従 p125〜
「戦争の三年間、民間人としての隷従よりも兵士としての隷従を選ぶようにわたしに決意させたのは、好奇心を別にすれば、愚者どもがふたたび幅をきかせるだろうという、わたしが当初からいだいた思いだった。かの大きな不幸の第一日目から、僧侶たちは舗石のあいだにから姿を現わしてくるらしかった。だが、それはまだ、たいした不幸ではなかった。力ずくで僧侶たちの教説に引きもどされてしまったとしても、まだそれを利用することはできたのだから。人間の発達段階のひとつだったその教説のうちになら、あらゆる人間の思考はまあまあ居心地のよい牢獄を自分のためにつくり出すことができるのだ。ところがわれわれは、もっとはるかに悪いことに出会わねばならなかったのである。体制的な考え方が警察によって規制され監視されるようになると、その体制的な考え方は、平均的警官の水準まで落ちざるをえなかった。この種の下役は、あらゆる時代にきわめて役に立つ存在だが、言葉をよく吟味する習慣を持たないから、うわべだけの意見を適当にまとってみせることも許されなかった。政治家や文学者は、彼らの言説において、なにひとつ注目を惹くようなことはそぶりにも見せてはならぬという条件に服したのである。なぜなら、秩序を確保する手先どもにとっては、注目と嫌疑とはおなじものだからだ。この結果、ある人間たちは低められ、別の人間たちは高められた。これが愚者たちの支配とわたしが呼ぶものだ。このような世論の警察が必要だったかどうかについては、ここで検討したくない。戦争の遂行がこのようなとりわけ非人間的な結果をもたらすということは、けっして意外とされるべきではない。精神の奴隷より肉体の奴隷の方がましだと考えて、わたしは軍隊に逃げ込んだのだ。
この決断は正しかったし。わたしは一度もそれを後悔したことはない。苛酷な行動は、それがいかなる虚言も、さらには、いかなる判断の誤りも許さないという点でつねに好ましいものだ。力のみが役割を演じていたかの辺境においては、偽善は息絶えた。目的は有無を言わさぬものだったが、判断はそのなかで自由を見出していた。当然の結果として、暇なときの思考も健全なものだった。無学な多くの者たちが、長い不寝番の折など、月の運行や、星々の不動のたたずまいや、いちばんよく見える惑星たちの動きにまで興味をいだいた。言説そのものも、おなじように、歯切れのいい、率直なものになった。…」
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治安(検閲、自粛etc)警察という名の愚者支配からの兵役遁走
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posted by Fukutake at 12:09| 日記