「日本人養成講座」 三島由紀夫 (株)メタローグ 1999年
文章読本より p48〜
「人を陶酔させる文章とはどんなものか
「一点の色を注ぎ込むのも、彼に取っては容易な業ではなかった。さす針、ぬく針の度毎に深い吐息をついて、自分の心が刺されるように感じた。針の痕は次第々々巨大な女郎蜘蛛の形象を具え始めて、再び夜がしらしらと白み初めた時分には、この不思議な魔性の動物は、八本の肢を伸ばしつつ背一面に蟠った。
春の夜は、上り下りの河船の櫓声に明け放れて、朝風を孕んで下る白帆の頂から薄らひ初める霞の中に、中洲、箱崎、霊岸島の家々の甍がきらめく頃、清吉は漸く絵筆を擱いて、娘の背に刺りこまれた蜘蛛のかたちを眺めて居た。その刺青こそは彼が生命のすべてであった。その仕事をなし終へた後の彼の心は空虚であった。」(谷崎潤一郎「刺青」)
谷崎氏の初期の文章はまことに人を陶酔させる文章でした。ここは上等なとろりとしたお酒の味わいがあります。それは目を楽しませ、人をあやしい麻薬でもって現実や理性から背けさせます。ところで文章というものは、どんなに理性的な論理的文章であっても、人をどこかで陶酔にさそうような作用をもっているものであります。われわれは哲学者の文章に酔うことすらできます。ただ酔いにもカストリの酔いや上等の酔い、各種あるように、またスイートな酒からドライな酒までいろいろあるように、低級な読者は低級な酒に酔い、高級な読者は高級な酒に酔います。自分を酔わせてくれない文章が、人を酔わせることも十分あります。ただ文章にはアルコールのように万人を酔わせる共通の要素がないだけであります。」
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谷崎文学には一度はハマります。
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