2021年04月02日

見えぬが花

「徒然草 第百九十一段」

訳)
 「「夜になってからは物の見映えがしない。」という人があるが、そんな人はほんとうに情けない。いろいろな物のきらびやかさ、飾りの美しさ、晴れがましさなども、夜の方が格別に引き立って結構なものに感じられる。昼の間は簡素で地味な姿でいてもよかろう。しかし、夜には、きらびやかで派手な服装をしているのが文句なしにすばらしい。人の容姿も、夜の火影を受けているのが、立派なのはいっそう立派に見え、何か言っている声も、暗い中で声だけ聞いているのが、その話しぶりに深い心づかいの感じられるのは、まことに奥ゆかしいものである。ものの匂いも、楽器の音も、夜の方がとりわけすばらしく感じられる。…」
(「イラスト古典全訳 徒然草」橋本武 日栄社)

原文)
 「「夜に入りて、物の映えなし」といふ人、いと口をし。万(よろづ)のものの綺羅(きら)・飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ。昼は、ことそぎ、およすけたる姿にてもありなん。夜は、きららかに、花やかなる装束、いとよし。人の気色(けしき)も、夜の火影(ほかげ)ぞ、よきはよく、物言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある*、心にくし。匂(にほ)ひも、ものの音も、ただ、夜そひときはめでたき。」

用意ある* 心を配ること、心づかい
(岩波文庫 新訂 徒然草)

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posted by Fukutake at 21:57| 日記

明治の芝居

「明治劇談 ランプの下にて」 岡本綺堂著 岩波文庫 1993年

 p187〜
 「…「泉三郎」で思い出されたのは、その翌月(明治二十四年十一月)、歌舞伎座で再び「泉三郎」を上演するようになったことである。これは在来の「腰越状」の泉三郎で、前の「泉三郎」とは何らの関係がある訳ではないが、「泉三郎」がまた出るというので世間の噂にのぼった。歌舞伎座でも最初からこの狂言を択んだのではなく、一番目は桜痴居士作「太閤軍記朝鮮巻」五幕、二番目は「高田の馬場」、大切浄瑠璃は「雪月花」という組合せで開場したのであるが、一番目の四幕目に朝鮮の王妃と王子らが我が陣所に捕虜となっているところへ、朝鮮の勇将征東使伯寧がおなじく捕虜となって来て、敵中で君臣対面の場がある。加藤清正は団十郎、王妃は先代の秀調、伯寧は八百蔵(後の七代目中車)で、作者は朝鮮側の面目を立てるために忠勇なる伯寧を点出して、それを当時売出しの八百蔵に勤めさせたのであった。

 おおわらわの伯寧が縄付の姿で王妃らの前に平伏し、自分らが不覚にして王妃らにかかる恥辱を見せたる罪を謝するところは、文字通り声涙倶に下るの悲壮な場面で、この場が最も好評を博していたのであるが、興行の中途で朝鮮公使から外務省にむかって抗議を提出した。歴史上の事実はともあれ、自国の王妃王子が捕虜となっているところを舞台の上で公演するのは穏当ではない、どうか中止を命じてもらいたいというのである。前にもいう通り、作者の方ではむしろ朝鮮側に贔屓してこの場を作ったのであるが、王妃王子の問題に対しては何とも抗弁するわけには行かないので、結局この一場はだけを抜くことにして折合いが付いた。その代わりに何か一幕加えなければならなくなったので、俄かにこの「腰越状」を挿むことにした。五斗は団十郎、関女は秀調、泉三郎は八百蔵という役割で、ここに再び泉三郎を舞台の上に見ることになったのであった。…」

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綺堂ならではの楽屋話
posted by Fukutake at 12:36| 日記