「赤毛のアン」−赤毛のアン・シリーズ1−モンゴメリ 村岡花子 訳 新潮文庫
(英文)『Anne of Green Gables』 L.M.Montgomery
p265〜
「…そこへ、ダイアナの従兄姉のミュレー家の人たちがニューブリッジから到着した。みんな毛皮の服を着て大きなそりの中にぎっしり乗りこんでいた。アンは公会堂までの道を思う存分楽しんだ。すべって行くそりの下で、繻子のようになめらかな雪の道がパチパチ音をたてた。雄大な入日をふちどるように見える雪の山々とセント・ローレンス湾の紺青の水は大きな真珠とサファイアの鉢が火と煙を満々とたたえているのかと思われるほどだった。そりの鈴の響きや、はるかかなたの笑い声が、森の精のさざめきのように四方から聞こえてきた。
「おお、ダイアナ」とアンは毛皮の外套の中にある、ダイアナの手袋をはめた手をかたく握りながらささやいた。「なにもかも美しい夢みたいじゃないの?ほんとうに、いつもあたしと同じに見えて?あんまりちがった気持ちがするもんで顔つきにも変わったところが出てるにちがいないって気がするの」
「あんた、ひどくすてきに見えることよ」とダイアナは答えた。ダイアナ自身いとこの一人からたったいまほめられたばかりなので、人にも言ってやらなくてはと思ったのだった。「あんたがそんなにきれいな顔色をしていたことは今までにないわ」
「Then Diana’s cousins, the Murrays from Newbridge, came; they all crowded into the big pung sleigh, among straw and furry robes. Anne reveled in the drive to the hall, slipping along over the satin-smooth roads with the snow crisping under the runners. There was a magnificent sunset, and the snowy hills and deep blue water of the St.Lawrence Gulf seemed to rim in the splendor like a huge bowl of pearl and sapphire brimmed with wine and fire. Tinkles of the mirth of wood elves came from every quarter.
“Oh, Diana,” breathed Anne, squeezing Diana’s mitted hand under the fur robe, “isn’t it all like a beautiful dream? Do I really look the same as usual? I feel so different that it seems to me it must show in my looks.”
“You look awfully nice,” said Diana who having just received a compliment from one of her cousins, felt that she ought to pass it on. “You’ve got the loveliest color.”」
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美しいセント・ローレンス湾岸を行く橇の旅
2021年04月01日
セント・ローレンス湾
posted by Fukutake at 16:10| 日記
聚楽座
「昔、聚楽座があった −−映画館で見た映画− 」櫻田忠衞 かもがわブックス
(ぼくの家族が昭和三十年代に住んだ北海道・妹背牛(モセウシ)には、家の前に「聚楽座」という映画館があった。もう一つ妹背牛劇場という映画館もあった。しかし、映画はテレビの普及に反比例して衰退の一途をたどって行く。)
P51〜
「昭和三四(一九五九)年、当時の皇太子の結婚式が大きな契機だった。それまでは一部の裕福な家庭にしかテレビはなかったが、「皇太子と美智子さんの結婚式のパレードがテレビで中継される」とあって、それを見るために一般の家庭にまでテレビが押し寄せた。
皇太子と美智子さんの「ご成婚」について、ぼくが憶えているのは、二人の結婚そのものよりも、皇太子夫妻が馬車に乗って沿道に集まった人たちに手を振りながらパレードしている隊列に、突然、少年が飛び出してきて、馬車に向かって石を投げつけ、馬車に乗り込もうとして警察に取り押さえられた事件だ。その様子は、テレビの中継で映し出されたのだが、ぼくはそれを見てはいなかった。ぼくがそれを知ったのは、その事件を掲載した新聞の記事からであった。
少年は警察に逮捕されたが、取り調べのなかで、「天皇制に反対だ。石が当たらなかったので二人をひきずり降ろすつもりだった」と言い、また「二人が結婚するだけで二億三千万円も使っている。税金は福祉事業に使うべきだ」とも述べたと報道された。ぼくは、その少年に同情し、警察で供述した少年の思いに共感した。
二億三千万円も使って結婚式をする人とそれに反感を持って襲撃した人、そしてそれを報道する新聞を北海道の寒村で配達しなければならない小学生。みな同じ人間でありながら、その生活環境にどうしてこんなに差が生じるのだろう。ぼくの原点がこのときはっきりと意識された。…
その頃の日活映画で思い起こすのは「ハイボール」だ。日活映画は、東映のような時代劇ではなく現代劇のアクションものが多く、ナイトクラブやバーがよく登場した。裕次郎や小林旭がそこで注文して飲む酒は洋酒で、そのほとんどは「ハイボール」だった。その頃のぼくには、その味を知ることはかなわず、大人になったらバーなるところへ行って「ハイボール」を飲んでやろうとひそかに決意していた。そして今、ぼくは京都のバーで「ハイボール」を飲み続けている。」
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櫻田忠衛さん:一九四八年北海道生まれ。京都大学大学院経済研究科講師。
(ぼくの家族が昭和三十年代に住んだ北海道・妹背牛(モセウシ)には、家の前に「聚楽座」という映画館があった。もう一つ妹背牛劇場という映画館もあった。しかし、映画はテレビの普及に反比例して衰退の一途をたどって行く。)
P51〜
「昭和三四(一九五九)年、当時の皇太子の結婚式が大きな契機だった。それまでは一部の裕福な家庭にしかテレビはなかったが、「皇太子と美智子さんの結婚式のパレードがテレビで中継される」とあって、それを見るために一般の家庭にまでテレビが押し寄せた。
皇太子と美智子さんの「ご成婚」について、ぼくが憶えているのは、二人の結婚そのものよりも、皇太子夫妻が馬車に乗って沿道に集まった人たちに手を振りながらパレードしている隊列に、突然、少年が飛び出してきて、馬車に向かって石を投げつけ、馬車に乗り込もうとして警察に取り押さえられた事件だ。その様子は、テレビの中継で映し出されたのだが、ぼくはそれを見てはいなかった。ぼくがそれを知ったのは、その事件を掲載した新聞の記事からであった。
少年は警察に逮捕されたが、取り調べのなかで、「天皇制に反対だ。石が当たらなかったので二人をひきずり降ろすつもりだった」と言い、また「二人が結婚するだけで二億三千万円も使っている。税金は福祉事業に使うべきだ」とも述べたと報道された。ぼくは、その少年に同情し、警察で供述した少年の思いに共感した。
二億三千万円も使って結婚式をする人とそれに反感を持って襲撃した人、そしてそれを報道する新聞を北海道の寒村で配達しなければならない小学生。みな同じ人間でありながら、その生活環境にどうしてこんなに差が生じるのだろう。ぼくの原点がこのときはっきりと意識された。…
その頃の日活映画で思い起こすのは「ハイボール」だ。日活映画は、東映のような時代劇ではなく現代劇のアクションものが多く、ナイトクラブやバーがよく登場した。裕次郎や小林旭がそこで注文して飲む酒は洋酒で、そのほとんどは「ハイボール」だった。その頃のぼくには、その味を知ることはかなわず、大人になったらバーなるところへ行って「ハイボール」を飲んでやろうとひそかに決意していた。そして今、ぼくは京都のバーで「ハイボール」を飲み続けている。」
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櫻田忠衛さん:一九四八年北海道生まれ。京都大学大学院経済研究科講師。
posted by Fukutake at 16:05| 日記