2021年04月10日

ヒットラア

「小林秀雄全集 第十二巻」− 考へるヒント− 新潮社版 平成十三年

ヒットラアと悪魔 p151〜

 「…専門的政治家達は、準備時代のヒットラアを、無智なプロパガンディストと見なして、高を括ってゐた。言つてみれば、彼等に無智と映ったものこそ、實はヒットラアの確信そのものであつた。少なくとも彼等は、プロパガンダのヒットラア的な意味を間違へてゐた。彼はプロパガンダを、單に政治の一手段と解したのではなかつた。彼には、言葉の意味などといふものが、全く興味がなかつたのである。プロパガンダの力としてしか、凡そ言葉といふものを信用しなかつた。これは殆ど信じ難い事だが、私はさう信じてゐる。あの數々の残虐が信じ難い光景なら、これを積極的に是認した人間の心性の構造が、信じ難いのは當り前の事だと考へてゐる。彼は、死んでも嘘ばつかりついてやると固く決意し、これを實行した男だ。つまり、通常の政治家には、思ひも及ばぬ完全な意味で、プロパガンダを遂行した男だ。だが、これは、人間は獸物だといふ彼の人性原理からの當然な歸結ではあるまいか。人間は獸物だぐらゐの意見なら、誰でも持つてゐるが、彼は實行を離れた單なる意見など抱いてゐたのではない。

 三年間のルンペン収容所の生活で、周圍の獸物達から、不機嫌な變り者として、うとんぜられながら、彼が體得したのは、獸物とは何を置いても先ず自分自身だといふ事だ。これは根底的な事實だ。それより先に行きやうはない。よし、それならば、一番下劣なものの頭目に成つてみせる。昂奮性と内攻性とは、彼の持つて生れた性質であつた。彼の所謂収容所といふ道場で鍛へ上られたものは、言はば絶望の力であつた。無方針な濫讀癖で、空想の種には困らなかつた。彼が最も嫌つたものは、勤勞と定職とである。當時の一證人の語るところによれば、彼は、やがて戰争が起るのに、職など馬鹿げてゐると言つてゐた。出征して、毒ガスにやられた時、おそらく彼の憎悪は完成した。勿論、一生の方針が定つてからは、彼は本當の事は喋らなかつた。私も諸君と同じやうに、一勞働者として生活して来たし、一兵卒として戰つて来た、これが彼の演説のお題目であつた。

 ヒットラアは、十三階段を登らずに、自殺した。もし彼が縊死したとすれば、スタヴロオギンのやうに、愼重に縄に石鹼を塗つたに違ひない。…」


(「文藝春秋」<考へるヒント>、昭和三十五年五月)

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posted by Fukutake at 08:35| 日記

2021年04月08日

三島由紀夫の健康法

「生きる意味を問う」 三島由紀夫 大和出版 

私の健康 p47〜

 「日常の健康法

 十分な睡眠 未だかつて睡眠薬というものを使ったことがない。床に入れば、よほどのことがない限り、間もなく眠りに入る。しかし就寝儀式があり、左を下にして床に入り、二、三分のち、右へ寝返って眠る。自分のベッド、自分の枕が大切。尤も私の睡眠時間は午前五時ごろから午後一時ごろまで略八時間で、過去十何年の習慣だから治らない。仕事のない日に早く眠ろうと思っても、そうは行かぬ。これは慢性不眠症というのかもしれぬが、午前中の眠りは深く、ジェット機が屋根スレスレに飛ぼうが、気がついたことがない。

 日光浴 一年を通じ、十二月だろうが、一月だろうが、快晴なら、裸で、庭のテラスで朝食をとる。鳥肌が立ったって、かまうことじゃない。風邪は過労からひくものであって、寒さは風邪とは関係がない。
 スポーツ 一週二、三回ボディ・ビル、一回は必ず剣道。ボディ・ビルだけでは、体がコチコチになり鈍重になるような気がするので、週一回は剣道をやって体をほぐしスピードをつけ、汗を滝のごとく流す。冬でも水を浴びる。冬でも下着はブリーフ一枚。

 食事 朝はハーフ・グレイプフルート、フライド・エッグズ、トースト、ホワイト・コーヒー等。朝食は午後二時ごろ。午後七時か八時に昼食。週に最低三回は360グラム見当のビフテキを欠かさない。つけあわせには、じゃがいも、玉蜀黍(とうもろこし)、それからサラダを馬のごとく喰べる。夜中に夕食。これは軽い茶漬風のもの。仕事の前だから、あまり重いものは食べない。
 酒・煙草 酒は家ではほとんど呑まない。外でもお付合程度。煙草はピースを一日3箱位。油っこい洋食のあとでは、葉巻がもっと旨い。
 煙草は朝食後でなくては吸わない。酒は日本料理なら日本酒、西洋料理なら葡萄酒。カクテルは悪酔いするからあまり呑まない。ビールはあまり呑みすぎると、睡眠を妨げるから好まない。運動のあとの酒は、おいしいに決まっているが、たちまち全身を廻って眠くなり、夜の仕事の妨げになるから、運動のあとは概してレモン・スカッシュ程度。
 酔いすぎたあとは、暑い番茶をガブガブ呑んで、急速に酔いをさまし、仕事にかかる。
 藥 注射は大きらい。薬も原則嚥まない。

 例外は、毎朝食後アメリカ製の、何やらゴチャゴチャいろんなものが入ったビタミン錠剤を嚥む。これを嚥んでいるところを見たアメリカ人が、ビタミン剤なんて野蛮人の嚥むものだと軽蔑し、It’s killing you と言った。しかし、また私はこうして生きている。薬を使わないため、喰べすぎて胃が重たくなったときは、古代ローマ人の習俗をまねて、咽喉の奥へ指をつっこんで(ローマ人は鵞鳥の羽根を使ったらしいが)、余計なものをみんな吐出してしまう。

 風邪らしいときは、大厚着して、薬缶に一杯、暑い番茶をガブガブのみ、全身に発汗して治す。
 お腹をこわしたときは、こわした瞬間に忘れることにして、ビフテキだろうが、何だろうが、平常と同じものを喰べる。すると、あくる日は治る。
 頭痛はかつてしたことなし。
 仕事 これが私の健康法の核心をなすもの。自分の体力以上の仕事を決して引受けず、自分のペースを乱さないこと。」


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ここまでくれば、ある意味見事。
posted by Fukutake at 08:37| 日記

2021年04月07日

デカルト

「方法序説・情念論」 デカルト 野田又夫 訳 中公文庫

「方法序説」 冒頭 p8〜

「良識はこの世で最も公平に分配されているものである。というのは、だれもかれも それを十分に与えられていると思っていて、他のすべてのことでは満足させることの はなはだむずかしい人々でさえも、良識については、自分がもっている以上を望まぬ のがつねだからである。そしてこの点において、まさかすべての人が誤っているとは 思われない。むしろそれは次のことを証拠だてているのである。すなわち、よく判断 し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と 名づけられるものだが、これはすべての人において生まれつき相等しいこと。した がって、われわれの意見がまちまちであるのは、われわれのうちのある者が他の者 よりも多く理性をもつから起こるのではなく、ただわれわれが自分の考えをいろいろち がった途によって導き、また考えていることが同一のことでない、ということから起こる のであること。というのは、よい精神をもつというだけでは十分ではないのであって、 たいせつなことは精神をよく用いることだからである。最も大きな心は、最も大きな徳 行をなしうるとともに、最も大きな悪行をもなしうるのであり、ゆっくりとしか歩かない人 でも、もしいつもまっすぐな途をとるならば、走る人がまっすぐな途をそれる場合より も、はるかに先へ進みうるのである。」

「Good sense is the most evenly shared in the world, for each of us thinks he is so well endowed with it that even those who are the hardest to please in all other respects are not in the habit of wanting more than they have. It is unlikely that everyone is mistaken in this. It indicates rather that the capacity to judge correctly and to distinguish the true from the false, which is properly what one calls common sense or reason, is naturally equal in all men, and consequently that the diversity of our opinions does not spring from some of us being more able to reason than others, but only from our conducting our thoughts along different lines and not examining the same things. For it is not enough to have a good mind, rather the main thing is to apply it well. The greatest souls are capable of the greatest vices as well as of the greatest virtues, and those who go forward only very slowly can progress much further if they always keep to the right path than those who run and wander off it.」

(DESCARTES "DISCOURSE ON METHOD AND THE MEDITATIONS" Penguin Classics)
posted by Fukutake at 14:17| 日記