2021年03月25日

どっぷり

「こころの処方箋」 「こころの処河合隼雄 新潮文庫

どっぷりつかったものがほんとうに離れられる p143〜

 「…しがらみから離れようと無理をしすぎるため、表面的には自立しているように見えても、深いところではひっついていたり、ともかくべたべたとひっつくことを期待していたりする。このため、他の人と適切な人間関係が結べないのである。急に接近したり、切れなくてもよいときに急に切ろうとしたり、チグハグになって来る。そして、自立しているはずの母親からの影響が、思いがけないところで出てきたりするのである。

 もっとも、どっぷりつかるのと「溺れる」のとは異なる。溺れる人はやたらとあちこちしがみつくが、そこを離れることはできない。
 子どもがファミコンなど熱中するとき、それにどっぷりつからせるのは、そこを離れるためのよい手段となる。好きなだけやらしているなどと言いながら、親が変に気にしたり、イライラしたりしていると、それは「どっぷり」とは言い難い。子どもの勝手にやらせて、親はわれ関せずとなると、子どもは溺れるかも知れない。もっとも優秀な子だと、それでも自分から離れてゆくかも知れない。しかし、一般には、「どっぷり」体験をするためには、そこに人間の信頼ということが存在する必要があるようだ。

 幼少期に母親とうまく「どっぷり」体験をもった人は幸福である。しかし、それがなくとも、人間はその後の人間関係や、その他の世界との関係で「どっぷり」体験をすることができるものである。それは、その人の個性と大いにかかわるものとして、創造源泉となることもある。

 どっぷりつかるのと溺れることとは似ているので、そこには恐怖感が伴うこともある。溺死すれすれの「どっぷり」などというのも無いことはない。しかし、そこを体験しないとなかなか次のところへ進んでゆかれないものである。本当に「どっぷり」体験しようとする人は、恐怖を乗りこえる体験をする点でも意味があるとも考えられる。」

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中途半端はダメ
posted by Fukutake at 08:27| 日記