「漱石全集 第二十二巻」 初期の文章 岩波書店
無題 p230〜
(漱石が明治三十六年一月ロンドン留学から東京に帰ってきて、亡友子規の墓に詣でた時の感想)
「水の泡に消えぬものありて逝ける汝と留まる我とを繋ぐ。去れどこの消えぬもの亦年を逐ひ日をかさねて消えんとす。定住は求め難く不壊は尋ぬべからず。汝の心われを残して消えたる如く吾の意識も世をすてて消える時来るべし水の泡のそれの如き死は獨り汝の上のみにあらねば消えざる汝が記憶のわが心に宿るも泡粒の吾命ある間のみ
淡き水の泡よ消えて何物をか藏む汝は嘗て三十六年の泡を有ちぬ生ける其泡よ愛ある泡なり信ある泡なり憎悪多き泡なりき□しては皮肉なる泡なりきわが泡若干歳ぞ死ぬ事を心掛けねばいつ破るると云ふ事を知らず只破れざる泡の中に汝が影ありて前世の憂を夢に見るが如き心地す時に一辨の香を燻じて此の影を昔しの形に返さんと思へば烟りたなびきわたりて捕ふるにものなく敲くに響なきは頼み難き曲者なり罪業の風烈しく浮世を吹きまくりて愁人の夢を破るとき随處に聲ありて死々と叫ぶ片月窓の隙より寒き光をもたらして曰く罪業の影ちらつきて定かならず亦土臭し汝は罪業と死とを合わせ得たるものなり
霜白く空重き日なり我西土より帰りて始めて汝が墓門に入る爾時汝が水の泡既に化して一本の棒杭たりわれこの棒杭を周る事三度花をも捧げず水も手向けず只この棒杭を周る事三度にして去れり我は只汝の土臭き影をかぎて汝の定かならぬ影と較べんと思ひしのみ」
(明治三十六、七年頃)
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