2021年03月16日

勉強のみの生活

「福翁自伝」 福沢諭吉 著 富田正文 校訂 岩波文庫
緒方洪庵 塾の風景 p80〜

「おおよそ塾生は、外に出てもまた内にいても、乱暴もすれば議論もする。ソレゆえ 一寸一目見たところろではーー今までの話だけを聞いたところでは、如何にも学問ど ころのことではなく、ただワイワイしていたのかと思うでありましょうが、そこの一段に 至っては決してそうではない。学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾 生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱 病を煩うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕(くくりまくら)で、座布団がなにかを 括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと 思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるそ の家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜 してもないと言うので、不図(ふと)思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居た が、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時に何時でも構わぬ、殆ど昼夜の区別 はない、日が暮れたらといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。読書に草臥 れ眠たくなって来れば、机の上に臥して寝るか、あるいは床の間の床側(とこぶち)を 枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどというこ とは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕 はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。こ れでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない。同窓 生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為(し) ようはないというほどに勉強していました。 それから緒方の塾に這入ってからも、私は自分の身に覚えがある。夕方食事の時 分に、もし酒があれば酒を飲んで初更(ヨイ)に寝る。一寝して目が覚めるというの が、今で言えば十時か十時過ぎ。それからヒョイと起きて書を読む。夜明けまで書を 読んでいて、台所の方で塾の飯炊がコトコト飯を焚く仕度をすると音が聞こえと、それ を合図にまた寝る。寝て丁度飯の出来上ったころ起きて、そのまま湯屋に行って朝湯 に這入って、それから塾に帰って朝飯を給べてまた書を読むというのが、大抵緒方の 塾に居る間ほとんど常極(じょうきま)りであった。勿論衛生などということは頓(とん) と構わない。全体は医者の塾であるから衛生論も喧しく言いそうなものであるけれど も、誰も気が付かなかったのか或いは思い出さなかったのか、一寸でも喧しく言った ことはない。それで平気で居られたというのは、考えてみれば身体が丈夫であったの か、或いはまた衛生々々というようなことを無闇に喧しく言えば却って身体が弱くなる と思うていたのではないかと思われる。」

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posted by Fukutake at 09:42| 日記