「小林秀雄全集 第十巻」− ゴッホの手紙 − 新潮社版 平成十四年
エヂプトにて p422〜
「雨の國からやつて来た人間には、一年中雨の降らない沙漠の中をどこまで行つても一筋に悠々と流れてゐるナイル河の様子は、不思議な感じのするものである。カイロから殆ど九百粁も上つたアスワンの町はづれに、ダムがある。ダムと言つても水力電氣のダムではなく、灌漑用の、幅二粁にわたつて大河をせいた巨きなダムだ。ダムの近くの河中の小島には、エヂプト古代、ナイルの水深を測つた目盛りが岩に刻まれて遺つてゐる。肥沃なナイルの流域と漠然と考へて来たが、とんでもないことだ。高フ麥畑と氣味悪く赤茶けた沙漠との境界線は、ただただ使用可能なナイルの水の量ではつきりと定まるのである。もう一杯バケツの水があれば沙漠に向つてもう一本麥をを植ゑることが出来る。町の街路樹も芝生も、高フものはことごとく、ナイルから引かれた鐵管による、絶え間ない撒水によつて生きてゐる。沙漠との戦ひは五千年以来同じやうにつづいてゐる。
ルクソールは、三千年前には、もうとうに亡びてゐたテーベの都の跡である。パリで本氣になつて丹念に見たものはルーブルだけであつたが、順序として先づエヂプトの部屋を見てゐるうちに、あんまり豊富な陳列に一日つぶれてしまつて先に行けなかつた。カイロの美術館を見ると、ルーブルなど物の數でもないことが解つた。更に、ルクソールに来ると、ばかげた言ひ方だが、なるほどこれは美術館に這入らないものばかりあるとあきれた。エヂプト旅行をするので、僕も御多分にもれず、エヂプトの歴史など少々かじつては来たが、そんなものは邪魔にこそなれ、ものの役にも立たぬ。案内人の説明もただもううるさいばかりである。有名なカルナックの神殿の跡には、「圓柱の森」と呼ばれてゐる一室があり、高さ二十米もある大石柱が百數十本も林立してゐる、といふやうなことは、本で讀んでいろいろ想像をたくましくして来たが、美を想像してみるといふやうなことは全く不可能なことであつた。それほど廢墟の言葉なき印象は直かで強なかつた。ピラミッドも、本で、高さが何米、これに要した石材が何個などと讀んでゐれば、誇大妄想癖のあつた古代エヂプト人種を想像しかねないが、来て實物を眺めれば、ナイルの河岸からお参りするエヂプト人には、あれで大き過ぎも小さ過ぎもしなかつたであらうと思はれる。彼等は、よく均衡のとれた健全な感覺で、正直に、ごく當り前なものを作つたに相違ない。すべては、眞面目で、静かで、優しいのである。ピラミッドの強い大きな直線から墓の壁畫に描かれた小さな魚や踊り子の線に至るまで、同じ精神が一貫してゐる。」
(「朝日新聞」、昭和二十八年三月)
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