2021年03月11日

遁世のすすめ

「徒然草 第五十八段」

 「「求道心さえあるならば仏道修行は可能であって、住む所には全然関係あるまい。在家のままで俗人と交渉をもっても、来世の極楽往生を願うというのに、何の支障もあるまい。」と言うのは、極楽往生を何たるかをまったく知らぬ人の言い草である。ほんとうにこの世をはかなく思い、絶対に人間的苦悩を離脱しようと思うならば、何がおもしろくて朝夕君に仕えたり、家族の世話をする仕事に精を出したりしておられようか。人間の心は環境に引きずられて変化するものだから、閑寂な場所でなければ仏道修行に打ちこむことはまず不可能であろう。…

 人と生まれて来たかいには、何とかして世を遁れるということが最高に望ましいことである。何か何でも出世しよう、金持ちになろうということばかりに熱中して、悟りの境地にはいって行こうとしないような者は、すべての畜類と何ら変わることのない者と言ってよかろう。」
(「イラスト古典全訳「徒然草」橋本武」

(原文)
 「「道心あらば、住む所にしもよらじ、家にあり、人に交わるとも、後世を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、必ず、生死(しやうじ)を出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん。心は縁にひかれて移るものなれば、閑(じかならでは、道は行(ぎやう)じ難し。…

 人と生まれたらんしるしには、いかにもして世を遁れんことこそ、あらまほしけれ。偏(ひと)へに貪る事をつとめて、菩提に趣(おもむ)かざらんは、万(よろづ)の畜類(ちくるゐ)に変る所あるまじくや。」


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出家隠遁の勧め

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posted by Fukutake at 08:22| 日記