2021年03月10日

熊野 キリ

「謡曲を読む」 田代慶一郎 朝日選書 1987年

『熊野(ゆや)』を読む p129〜

 「花の名残

  女主人公として酒宴の一座をとりもっている熊野は、宗盛に酌をし、宗盛の所望によって舞を舞う。舞の途中に酒宴の座は驟雨に襲われる。晴れやかな春の一日に一瞬翳りを与えて通りすぎるこの驟雨という偶然事によって、一曲は思いがけない展開を見せ、劇は終曲へ持ち込まれる。
  突然降り来った村雨によって無残に散りゆく花は、熊野の眼には、やがて散りゆく母の象徴の如く映じ、彼女がここで「春雨の降るは涙か*」という古歌を想起するのも、抑えに抑えていたのについにあふれ出た自分の涙とその春雨とを同一視したからだ。この古歌の想起が、彼女の張りつめた心情に刺激を与え、それが一首の歌に託されてあふれ出る。

       いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東(あずま)の花や散るらん

 という『平家物語』巻十からそのまま引用されたこの歌が、みごとに、『熊野』のコンテキストの中に収め込まれる。そのため主人宗盛の心を動かして即座に東への帰国が許されるという、ここの劇的急変がいかにも自然に受けとめられる。
     宗盛 げに哀れなり、道理なり。この上ははやはや暇(いとま)取らすなり。 疾く疾く東に下るべし。
        熊野 なにおん暇と候や。
        宗盛 なかなかのこと、疾く疾く下り給うべし。
        熊野 あら有難や、嬉しやな。これ観音の御利生(ごりしょう)なり。

という二人のやりとりで熊野と宗盛との対立が、一挙に解決する。
詞章は、念願の旅立ちがかなった熊野の喜びを写しつつ、以下のように進む。

       
これまでなりや、うれしやな、これまでなりや、嬉しやな。
       かくて都にお供せば、また御意の変はるべき、ただこの儘(まま)に、
      お暇と、木綿(ゆふ)つけの、鳥*が鳴く、東路さして行く道の、東路さしてゆく道の、
      やがて休らふ逢坂の、関の戸ざしも心して、明け行くあとの山見えて、
      花を見捨つる雁(かりがね)の、それは越路われはまた東に帰る名残かな、東に帰る名残かな。…

 終始東への旅を願ってやまなかった熊野が、いざ旅立ちにあたり、都の空へ、そして宗盛へと、満腔の名残を放つところで、この一曲は幕を閉じる。」

「謡曲を読む」 田代慶一郎 朝日選書 1987年

春雨の降るは涙か* 「春雨の降るは涙か桜花 散るを惜しまぬ人しなければ」大伴黒主(古今和歌集)
木綿つけ鳥*  鶏の別名

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posted by Fukutake at 12:51| 日記