「宮崎市定全集 17 −中国文明−」 岩波書店 1993年
文化大革命の歴史的意義 p362〜
「…このあいだエドガー・スノーというアメリカの新聞記者が、東京や京都などで映画を見せて回りましたが、これは中国が人民共和国以後どんなに新しくなったかという革命賛美の映画でした。労働者の待遇がこんなに良くなった。またその考え方もこんなに変わったのだ。まるで極楽のような世界になった。昔、日本では王道楽土ということを申しましたが、その王道楽土がほんとうに出来上がっていた。 −− というような映画です。問題はそこです。そういう王道楽土 −− 極楽のようなところに突如として文化大革命というものが起こったのです。極楽に革命が起こるはずはないのでして、この文化大革命というものが起こりました時に、これをどう説明するか、どう理解するかということで、日本の言論界は非常な混乱を来したのです。…
そこで私らはやはり、いままで極楽である、王道楽土であるといったような中国は、ほんとうはそんな立派なものではなかった。そこには幾多の矛盾が存在しておったのだ。はっきりいいますと、人民やあるいは各方面の指導者の中などにも、大変不満が積もっておったのだ。そうでなければ、ああいう騒ぎが起こるはずがない。しかも、そういう不満が発散されないで、どこかに鬱積しておったのだ。そういう不満が、鬱積して表面に出ないで各方面に浸透している間に、こんどの文化大革命のような形になって爆発しなければならなくなったのだ。−− そういうふうに考えざるを得なくなったのです。皮肉な言い方をしますと、エドガー・スノーなどが持って歩いたあの極楽のような映画の中に、実は今度の文化大革命の原因がひそんでおったのだ。何といっても、人民共和国は急にできあがった政権ですから、そういう隅から隅まで世の中を急に立派にするということはむずかしかったはずです。むずかしかったならば正直に「こういうところが悪い」といって、そしてだんだん改良していけばいいのですが、革命政権というものは、革命が大事でありまして改良ということを言うのをきらうのであります。何でも革命でなければならない。そこで新しい社会を作った以上、この社会というものは、立派なものだといって映画までとらして、「こんなに立派だぞ」といわなければならない。で表面は映画にみるような立派であったけれども、その裏面には非常な人民の不満というものが鬱積してあった。そのことが、映画自身の中に文化大革命の原因を認めることになるわけです。
たとえば一時、百花斉放という運動が起こりました。何でも思ったことは言え、何を言ってもかまわない、と言って見たところが、あらゆる方面に非常な不満が出てきたのであります。結局当局者があわてて、それを取り消してしまった。しかもその不平不満を訴えた人たちを処罰しなければ収まらないくらいになってしまったのであります。…」
(長野県市町村教育委員会大会での特別講演、一九六八年九月)
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悲劇は善良な人民へ襲いかかった。共産主義という暴政。