「遠野物語 山の人生」 柳田国男 著 岩波文庫
山の人生 「山に入り再び山より還る者あること」
p102〜
「これは以前新渡戸博士から聴いたことで、やはり少しも作り事らしくない話である。陸中二戸郡の深山で、猟人が猟に入って野宿をしていると、不意に奥から出てきた人があった。
よく見ると数年前に、行方不明になっていた村の小学教員であった。ふとした事から山へ入りたくなって家を飛び出し、まるきり平地の人と違った生活をして、ほとんと仙人になりかけていたのだが、或る時この辺でマタギの者の昼弁当を見つけて喰ったところが急に穀物の味が恋しくなって、次第に山の中に住むことがいやになり、人が懐かしくてとうとう出てきたといったそうである。それから里に戻って如何したか。その後の様子は今ではもう何びとにも問うことができぬ。」
p108〜
「佐々木喜善君の報告に、今から三年ばかり前、陸中上閉伊郡附馬牛村の山中で三十歳前後の一人の女が、ほとんど裸体に近い服装に樹の皮などを纏いつけて、うろついていたのを村の男が見つけた。どこかの炭焼小屋からでも持ってきたものかこの辺でワッパビツと名づける山弁当の大きな曲げ物を携え、その中にいろいろ虫類を入れていて、あるきながらむしゃむしゃと食べていたという。遠野の警察署へ連れてきたが、やはり平気で蛙などを食っているので係員も閉口した。その内に女が朧気な記憶から、ふと汽車の事を口にし、それからだんだん生まれた家の模様、親たちの顔から名前を思い出し、ついには村の名までいうようになったが、聴いて見ると和賀郡小山田村の者で七年前に家出をして山に入ったということがわかった。やはり産後であって、不意に山に入ったというのであった。親を警察に呼び出して連れて行かせたが、一時はこの町で非常な評判であった。なお同じ佐々木君の話の中にこの附近の村の女の二十四五歳の者が、夫とともに山小屋に入っていて、終日夫が遠くに出て働いている間、一人で小屋にいて発狂したことがあった。のちに落着いてから様子を尋ねて見ると、或る時背の高い男が遣ってきて、それから急に山奥に行きたくなって、堪えられなかったそうである。」
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山には不思議な何かがあるかも知れない。
2021年03月14日
女を怒らせるな
「ツチヤの口車」 土屋賢二 文藝春秋 2005年
女の怒り方 p93〜
「わたしは子どものころから色々女に叱られてきた。そのおかげで、ずいぶん人間的に進歩できたと思う。とくに神妙な顔つきをするのが上手になった。これまでの経験から、わたしは五つの仮説を立てている。
1 女が叱るときは怒っている。
女が叱るとき、寝言を言っているのではない。目を開けているのだから、また冗談を言っているのでもない。ためしに笑ってみれば、決して喜ばないことが分かるであろう。さらに、独り言を言っているわけでもない。ためしにあくびをしたり漫画を読んでみれば、喜ばないことが分かるはずだ。やったことはないが、聖書のギリシャ語原典を読んでみても喜ばないだろう。本気で怒っていると考えるのが無難である(どっちみち事態は無難ではないが)。
2 女が怒るのには理由がある。
女が怒ると、たいてい何事かしゃべるが、これは怒っている理由を述べていると考えて間違いない。黙って怒ることもあるが、これは理由がないということではない。理由をたずねると最低二時間は説明を聞かされるはずである。こういうときは、気づかないふりをして何もたずねない方がよい。できれば用事を思い出したふりをして外出するのがよい。場合によってはそのまま帰らない方がよい。
3 女が怒る理由は理解できない。
女が怒る理由は本人の説明を聞いても理解できない。聞くふりをしても理解できない。たとえ理解できたと思っても安心できない。「帰宅が遅い」という理由で怒られたからと思って早く帰宅すると「帰宅が早い」という理由で怒られたりするのだ。
だから怒る理由は絶対に理解できないと思った方が無難である。だがやっかいなことに、男が直ちに理解しないと女の怒りは激しくなるため、男は理解したふりをするしかない。始末の悪いことに、女は男が同じ過ちを繰り返すと激怒する。このため、理解したふりだけだと、同じ過ちを繰り返し、厳しく注意される恐れがある(わたしの調査では、注意の内容は同じだが、過ちを犯す回数の二乗に比例して厳しさが増すという結果が出ている)。
4 女は妥協しない。
女は自分の主張を百パーセント貫こうとする。男だったら、「この相手に怒りをぶつけても自分に被害が及ばないか」「怒る時間と体力があるか」などを検討したうえではじめて怒るから、強い相手に怒りをおぼえたり、重病のときに怒ることはない。何より無難な妥協の道を探ろうとする。これに対し女は一切の妥協を排して徹底的に闘う。不思議なことに、女はたいてい戦争絶対反対の平和主義者だ。…」
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とかく女を怒らせてはならない。
女の怒り方 p93〜
「わたしは子どものころから色々女に叱られてきた。そのおかげで、ずいぶん人間的に進歩できたと思う。とくに神妙な顔つきをするのが上手になった。これまでの経験から、わたしは五つの仮説を立てている。
1 女が叱るときは怒っている。
女が叱るとき、寝言を言っているのではない。目を開けているのだから、また冗談を言っているのでもない。ためしに笑ってみれば、決して喜ばないことが分かるであろう。さらに、独り言を言っているわけでもない。ためしにあくびをしたり漫画を読んでみれば、喜ばないことが分かるはずだ。やったことはないが、聖書のギリシャ語原典を読んでみても喜ばないだろう。本気で怒っていると考えるのが無難である(どっちみち事態は無難ではないが)。
2 女が怒るのには理由がある。
女が怒ると、たいてい何事かしゃべるが、これは怒っている理由を述べていると考えて間違いない。黙って怒ることもあるが、これは理由がないということではない。理由をたずねると最低二時間は説明を聞かされるはずである。こういうときは、気づかないふりをして何もたずねない方がよい。できれば用事を思い出したふりをして外出するのがよい。場合によってはそのまま帰らない方がよい。
3 女が怒る理由は理解できない。
女が怒る理由は本人の説明を聞いても理解できない。聞くふりをしても理解できない。たとえ理解できたと思っても安心できない。「帰宅が遅い」という理由で怒られたからと思って早く帰宅すると「帰宅が早い」という理由で怒られたりするのだ。
だから怒る理由は絶対に理解できないと思った方が無難である。だがやっかいなことに、男が直ちに理解しないと女の怒りは激しくなるため、男は理解したふりをするしかない。始末の悪いことに、女は男が同じ過ちを繰り返すと激怒する。このため、理解したふりだけだと、同じ過ちを繰り返し、厳しく注意される恐れがある(わたしの調査では、注意の内容は同じだが、過ちを犯す回数の二乗に比例して厳しさが増すという結果が出ている)。
4 女は妥協しない。
女は自分の主張を百パーセント貫こうとする。男だったら、「この相手に怒りをぶつけても自分に被害が及ばないか」「怒る時間と体力があるか」などを検討したうえではじめて怒るから、強い相手に怒りをおぼえたり、重病のときに怒ることはない。何より無難な妥協の道を探ろうとする。これに対し女は一切の妥協を排して徹底的に闘う。不思議なことに、女はたいてい戦争絶対反対の平和主義者だ。…」
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とかく女を怒らせてはならない。
posted by Fukutake at 06:38| 日記
2021年03月13日
アインシュタイン語録
「アインシュタインにきいてみよう Ask Einstein (Genial Words)」
勇気をくれる150の言葉 弓場隆=編訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2006年
「12 同じことを繰り返しておきながら、異なる結果を期待するとは、きっと頭がどうかしているのでしょう。
17 小さな問題をなおざりにする人に、大きい問題を任せることはできません。
24 人の真の価値は、受け取ることではなく、与えることにあります。
41 自然を深く深く見つめてください。そうすれば、すべてのことがよりよく理解できるようになります。
51 わたしにとって空想する才能は、知識を身につける才能よりずっと大きな意味があります。
59 大学における一般教養の価値は、多くの事実から学ぶことではなく、教科書から学べないものについて考えるよう頭を鍛えることにあります。
61 若者には、通常の成功を人生の第一の目的とすることを教えるべきではありません。学業と労働の最も重要な動機は、学んだり働いたりすること、そのものの喜びと、その結果として社会に貢献できるという期待感でなければなりません。教育者の最も重要な課題は、若者を励まして、そういう意識を持たせることです。
94 もし私がイスラエルの大統領になったりすれば、国民が聞きたくないことを言わねばならなくなるんだよ。
113 なぜ自分が相対性原理を構築する人物になったのだろうかと自問することがあります。わたしの答えはこうです。ふつうの大人は空間と時間の問題について考えるのをやめますが、わたしは知性の発達が遅かったので、大きくなってようやくそういうことに疑問を持つようになったのです。」
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勇気をくれる150の言葉 弓場隆=編訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2006年
「12 同じことを繰り返しておきながら、異なる結果を期待するとは、きっと頭がどうかしているのでしょう。
17 小さな問題をなおざりにする人に、大きい問題を任せることはできません。
24 人の真の価値は、受け取ることではなく、与えることにあります。
41 自然を深く深く見つめてください。そうすれば、すべてのことがよりよく理解できるようになります。
51 わたしにとって空想する才能は、知識を身につける才能よりずっと大きな意味があります。
59 大学における一般教養の価値は、多くの事実から学ぶことではなく、教科書から学べないものについて考えるよう頭を鍛えることにあります。
61 若者には、通常の成功を人生の第一の目的とすることを教えるべきではありません。学業と労働の最も重要な動機は、学んだり働いたりすること、そのものの喜びと、その結果として社会に貢献できるという期待感でなければなりません。教育者の最も重要な課題は、若者を励まして、そういう意識を持たせることです。
94 もし私がイスラエルの大統領になったりすれば、国民が聞きたくないことを言わねばならなくなるんだよ。
113 なぜ自分が相対性原理を構築する人物になったのだろうかと自問することがあります。わたしの答えはこうです。ふつうの大人は空間と時間の問題について考えるのをやめますが、わたしは知性の発達が遅かったので、大きくなってようやくそういうことに疑問を持つようになったのです。」
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posted by Fukutake at 08:07| 日記