2020年12月18日

春秋に義戦なし

「恋に似たもの」 山本夏彦 文春文庫 1986年

笑わぬでもなし p175〜
 「私は春秋に義戦なしとみている。ある朝目ざめたら、昨日の友は今日の敵だった。某大国は某小国を包囲した。戦車は国境を越えた、宰相官邸は占領された。戦車は放送局に迫りつつある。「これが最後の放送です。皆さんさようなら」
 何度私はこの放送を聞いたことだろう。十年前も聞いた。百年前も聞いた。千年前を聞いた。千年前はラジオはなかったというか。ラジオのごときはデテールにすぎぬ。
 十年前は戦車が市民を蹂躙した。今度はしないというが、いつまたするか知れたものではない。社会主義は平和戦力で断じて他国を侵略しない、非武装中立にかぎると言うもの言い続けるだろう。それに賛成するものは賛成し続けるだろう。
「春秋に義戦なし」と古人は言ったが、この世の中にニュースはないと、ながめて私は楽しまないのである。
 右はチェコの事件の時に書いた。だから十年前は戦車が蹂躙したというのはハンガリーのときのことである。けれどもすべて匿名にしたのはこれからおこる事変に備えたのである。かれもこれも同じだと言うためには、ハンガリーだの満州だのと書かないほうがいいのである。アフガニスタンだの南北朝鮮だの、そのつど名を象嵌すればこれで千年や二千年は間に合うのである。
 コラムは多くニュースを扱う。ところが私はそもそもニュースはないと思っているものだから扱おうとしても扱えない。関心がない。やむなく扱っているふりをする。そこにあるニュースは私が言いたいことのために借りたものだから、古くなったらほかのものに読者が勝手に置きかえてくれればいいのに、置きかえてくれない人が時々あって困るのである。…
 ドロボードロボーと叫んで韋駄天が泥棒を追いかけて追いぬいてなお叫んでいるので、泥棒はどこにいると問うと、うしろからかけて来ると答えたという落語の枕があるが、私のコラムはさながらそれで、枕なら愛嬌があるが、私のには愛嬌がない。」

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夏彦節
posted by Fukutake at 08:51| 日記