2020年12月17日

母の記憶

「東の国から(上)」ラフカディオ・ヘルン作 平井呈一訳 岩波文庫

九州の學生とともに p46〜

 「あるとき、わたしは英作文の題に、「人が最も永く記憶にとどめるものは何か?」という題を出したことがあった。ひとりの學生は、それについて、こういう答えを書いた。 −−われわれは、なんといっても、ほかのいろんな雑多の経験を記憶するよりも、われわれがいちばん幸福だった時のことを、永く記憶するものだ。なぜかというと、不愉快だったことや苦しかったことは、できるだけ早く忘れてしまおうとするのが、人間の常情だから、というのである。そのときは、まだほかにもいろいろと機智に富んだ答案がでて、あるもののごときは、この問題について、なかなか鋭い心理的考察をこころみたものなどもあったりしたけれども、わたしはしかし、ある生徒の単純な解答に、いちばん好感がもたれた。この生徒は、次のように書いている。以下は、原文のままで、一字一句も直していない。直す必要をわたしはみとめなかった。−−
 「人が最も永く記憶にとどめるものは、何か? 人が最も永く記憶にとどめるものは、その人が、最も苦しい境遇にあって、見、かつ聞きしたことだろうと、ぼくは思う。
 僕が四つのときに、ぼくのなつかしい、なつかしい母が亡くなった。それは冬の日であった。風は、木立にも、家の屋根のめぐりにも、はげしく吹きめぐっていた。木の枝には、もういちまいの葉ものこっていなかった。ウズラが遠いところで、さびしい聲をして鳴いてた。ぼくは、そのとき自分がしたことを思いだす。ぼくは、床の上にふせっていたぼくの母に、−−それが、母の息をひきとるちょっと前のことだった。−−あまいミカンをあげた。母はニッコリとわらって、そのミカンを手にとり、それをおいしいといって食べた。それが母のわらったさいごだった。……母が息をひきとってからこんにちまでに、もう十六年以上の月日がたっている。でも、ぼくには、それがほんの束の間のようだ。ことしもまた冬が来た。母の亡くなったときに吹いた風が、いまもまたあの時とおなじように、吹きしきっている。ウズラも、同じ聲をたてて鳴いている。なにもかもが、そっくりおなじだ。けれども、僕の母は、もうあの世へ行ってしまった。そうして、もう二どとふたたび帰ってこない。」」

-----
posted by Fukutake at 11:41| 日記