2020年12月11日

人に選ばれるには

「現代語抄訳 二宮翁夜話」人生を豊かにする智恵の言葉 PHP 2005年

「柿を選ぶのにも」p50〜
 「若者が数名いた。先生は彼らに諭しておっしゃった。
 世の中を見てみなさい。一銭の柿を買うのにも。二銭の梨を買うのにも、芯がまっすぐでキズのないものを選んで取るだろう。また、茶碗ひとつ買うにも、色のいいもの形のよいものを選びて撫でてみて、音を鳴らして聞き、選りに選んで取るものだ。世の中の人は、みなそうだ。柿や梨は買っても、味や品質が悪ければ、捨てればよいものなのに、こういうものさえ、ここまでして選ぶのだ。
 ならば、人に選ばれて、婿や嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者は、自分の身にキズがあっては、人が取ってくれないのは当然のことだ。
 自分がキズをたくさん持っているのに、上に立つ人に用いられなかったとき「自分を見る目がない」などと上の人を悪くいって非難するのは、大きな間違いである。自らを省みよ。必ず自分の身に、キズがあるからに違いない。
 人の「身のキズ」とは、たとえば、酒が好きだとか、酒の上での不埒だとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとかが挙げられるだろう。何か一つ二つのキズがあるならば、買い手がないのも当然だ。
 これを柿や梨にたとえれば、芯が曲がって渋そうに見えるのに似ている。人が買わないのも、無理はない。このことをよく考えなければならない。古語(『大学』)に「心の中の真相は、必ず外にあらわれる」とあるが、キズがなく芯がまっすぐな柿が売れないはずがない。
 逆に、たとえ草深い中でも、山芋があれば、人がすぐに見つけて捨てては置かない。また、泥深い水中に潜伏するウナギやドジョウも、必ず人が見つけて捕らえるのが世の中だ。そうであれば、内に真心があれば、それが外にあらわれない道理があるはずがない。この道理をよく心得て、自分の身にキズがつかないように心がけなければならない。」

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posted by Fukutake at 08:28| 日記

中国を憂う

「魯迅箴言 (魯迅の言葉)」監修 中村 愿 平凡社 2011年

抜粋
 「中国には一貫して、失敗した英雄が少なく、強靭な反抗が少なく、あえて単身で斬り込む武人が少なく、反逆者を哭いて悼む弔問者が少なかった。勝ちそうだと見れば、われ先に集まるが、負けそうだと見れば、散り散りに逃げてゆく。『華蓋集』「これとあれ」

 運動会を見るたびに、いつも考える。勝者はもとより敬うべきだが、遅れても絶対にゴールまで駆け抜けようとする選手と、その選手を見ながら粛然として笑わない観客、彼らこそまさに中国の将来の脊梁(せぼね)である、と。
『華蓋集』「これとあれ」

 わが子とは、私にして私ではない人間であり、しかし、すでに分かれて存在する以上、人類のなかの一人でもある。私であるからには、教育的義務を尽くして、彼らに自立する能力を与えなければならない。私でないからには、同時に解放して、すべてを彼ら自身にまかせ、一人の独立した人間にしてやらねばならない。『墳』「我々は今、どのようにして父親となるか」

 幼いときに人として扱わなければ、大人になっても人として生きられない。
『熱風』「随想録二十五」

 希望はもともとあるものとも、ないものとも言えない。それはまさに地上の路のようなものだ。本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。『吶喊』「故郷」

 あえて正視してこそ、はじめて果敢に考え、説き、行ない、事に当たれ流のだ。『墳』「眼を見張って見る、について」

 本業に関わるものは、たとえ衣食を削ってでも、買う必要がある。これは、山賊がいかに銭金を惜しまずに、モーゼル銃を買うかをみれば、すぐにわかるでしょう。(書簡)「一九三六年七月七日 趙家璧宛」

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posted by Fukutake at 08:26| 日記