2020年12月10日

ぬかるみの地日本

「日本史の謎は「地形」で解ける」竹村公太郎 PHP文庫

 進軍できないモンゴル軍 p88〜

 「文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)で来襲したモンゴル軍は、昼は上陸して戦った。しかし、夜になると船に帰り、船上で寝泊まりしていた。そのため、嵐が襲ってきた時、船もろとも兵士たちは海の藻屑と消えた。これが致命傷となり、モンゴル軍は敗退することになった。
『逆・日本史』の故・樋口清之氏はその理由を「やぶ蚊」としている。つまり、乾燥したユーラシア大陸奥地にはやぶ蚊はいない。モンゴル軍にとって日本のやぶ蚊は初めての経験で、それに耐えられず船上で寝泊まりしていた。勇猛なモンゴル軍がやぶ蚊に弱かった、という樋口先生らしいユーモア溢れる解釈である。
 しかし、モンゴル軍の圧倒的な強みは、大地を縦横無尽に走り回る騎馬軍団と牛車群である。日本のどこにその大地があったのか? 牛車群のモンゴル軍が進撃する乾いた大地など日本になかった。モンゴル軍は、日本で牛馬の動力を奪われていたのだ。兵士と物資を戦闘の前線に運ぶ牛車群と、敵陣に突入していく騎馬軍団が麻痺していたのだ。牛車と騎馬軍団が活躍できるのは、縦横無尽に走り回る大地があっての話だ。日本のどこにその大地があったのか?…
 モンゴル軍は福岡に攻め入った。その福岡も水はけの悪い土地で、モンゴル軍は泥にはまってしまった。牛馬で突進する獰猛なモンゴル軍は、間の抜けた亀になってしまった。乾いた土地があっても、そこは起伏の激しい丘と山であった。さらに、その丘や山には木々の「緑」が茂っていた。草原と土漠が延々と続くモンゴルでは経験したことのない緑であった。その鬱蒼と茂った木々の緑が、モンゴル軍の動きを阻んだ。
 日本のサムライたちは丘の陰から不意を突き、緑の藪の中から突然襲ってきた。そして、サムライたちは、泥のあぜ道を蟻のようにすばしこく走り回った。
 牛と馬の動力を奪われたモンゴル軍は、船上に寝泊まりせざるを得なかった。
 これが日本の気象と地形から見たモンゴル軍敗退の物語であった。」

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ロシアの土地と気象に阻まれた独軍のような惨状
posted by Fukutake at 12:31| 日記

三島の寸言

「三島由紀夫の言葉 人間の性」佐藤秀明編 新潮新書 2015年

至極の名言集
p63〜
 「他人に場ちがいの感を起こさせるほどたのしげな、内輪のたのしみというのはいいものだ。たとえば、祭りのミコシをかついだあとで、かついだ連中だけで集まってのむ酒のようなものだ。われわれに本当に興味のある話題というものは他人にとてはまるで興味のないことが多い。他人に通じない話ほど、心あたたかく、席をなごやかにするものはない」(「新潟日報」昭和三十四年一月一日)

p140〜
 「鴎外の文章は非常におしゃれな人が、非常に贅沢な着物をいかにも無造作に来こなして、そのおしゃれを人に見せない、しかもよく見るとその無造作な普段着のように着こなされたものが、たいへん上等な結城であったり、久留米絣であったりというような文書でありまして、駆け出しの人にはその味がわかりにくいのであります。」(「文章読本」)

p158〜
 「私は書斎の一隅の椅子に眠っている猫を眺める。私はいつも猫のようでありたい。その運動の巧緻、機敏、無類の柔軟性、絶対の非妥協性と絶妙な媚態、絶対の休息と目的にむかって駆け出すときのおそるべき精力、卑しさを物ともせぬ優雅と、優雅をものともせず卑しさ、いつも卑怯であることを怖れない勇気、高貴であって野蛮、野生に対する絶対の誠実、完全な無関心、残忍で冷酷、… これらさまざまの猫の特性は、芸術家がそれをそのまま座右銘にしても少しもおかしくない。」(「裸体と衣装 −−日記」)

p165〜
 「普通の世の中は、いま進歩主義の世の中ですから、「なんだあんなこと言う人は、昔の黄金時代ばかりを夢見て懐かしがっている」と言いますけれど、私は歌舞伎というものは、いつでも昔が良かったもんだ、と思うんです。あらゆる時代で、昔の方が良かったから、歌舞伎というこの変な生命が続いているんです。」(「悪の華−−歌舞伎」)

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たまには「三島の文章」で脳福を!
posted by Fukutake at 12:29| 日記