2020年12月09日

仮死状態の意識

「死にゆく者からの言葉」 鈴木秀子 文春文庫 1996年

仲良し時間 p8〜
(前半)
 「…ある大学の医学部の教授が私に次のように話して下さったのです。
 「一応二十四時間前後ということになっています。もちろん厳密な意味ではなく、およそその時間です。死が近づいている病人が、元気を取り戻し、あたかも回復したかと思われる時間があります。その間に、病人は、し残したり、言い残したり、したいと思っていたことなどをなし遂げることがあるのです。私たちはこの時間を『仲よし時間』とよんでいます」
 私は、今まで摂理としか言いようのないかたちで、何人かの「死にゆく人たち」に、彼らの「仲よし時間」に招き入れてもらったのです。
 中国の人たちはこういう時間を「回光反照」と呼んでいるそうです。蝋燭が燃えつきる寸前、大きく炎が燃え上がります。墜落していく飛行機は、低旋回を繰り返したのち、一度急上昇して命が燃え上がるように下降するといわれています。中国では、こういうように、死を前にして命が燃え上がる時、病人を床に降ろしてあげるといいます。大地に帰っていく徴候です。また、この病気は回復するのは難しいと予感した人は、自然に帰っていくことを受け入れる表明なのだそうです。
 このように死の迫っている人たちに訪れる、「すっかり元気になったような時間」、この時間に、人々はこの世を去る準備として人生最後の仕事をするようです。それは自然との一致、自分自身との仲直り、他者との和解という作業です。
 私が、死を目の前にした人たちとこの「仲よし時間」を供にするようになったのは、十四年ほど前からです。それは、ひとつの体験から始まりました。私の人生に大きな影響を与えたその体験の結果として、私は知らず知らずのうちに病人のところへ行くようになったのです。
 十四年前、奈良女子大学での学会に出席した際、私は友人のいる修道院に泊めてもらいました。修道院の建物は、宮家の別荘を譲り受けたもので、天井の高い立派なお屋敷でした。その天井に合わせて二階の客間が建て増してあったため、階段は高く急でした。真夜中に起き出した私は階段を廊下と思い違いして、二階から下まで落ちてしまったのです。五時間近く意識不明の状態で過ごしました。救急隊の人が、
「これだけ高い階段から落ちて、生きていられるもんなんでしょうかね」と驚いていたという話をあとで聞きました。」(次回に続く)

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posted by Fukutake at 12:17| 日記

死にゆく風景

「死にゆく者からの言葉」 鈴木秀子 文春文庫 1996年

仲良し時間 p10〜
(後半)

 「意識のない五時間の間に、思いがけないことが起こりました。
 私は、空中から下の方を見下ろしていました。かなり高いところにいて、明確な意識を持っています。下の方に、もう一人の私が、やはり地上から少し浮き上がってまっすぐに立っています。足のまわりを筍の皮のようなものが包んでいます。のちに台湾の寺院を訪れたとき、美しい仏像を見る機会がありました。優しい感じの仏像の立つ台座が、あの時、私が筍の皮だと思ったものと同じでした。その台座は蓮の花びらからできているとのことでした。
 ともかく上から見下ろしていると、私の足もとの筍の皮が一枚ずつゆっくりと落ちていきます。その皮が一枚一枚と剥がれる落ちるたびに、私は暖かい気持ちで、下のもう一人の私を見ながら、「ああ、これで人の目を気にすることから自由になった、これで人との競争からも自由になった。これで人を恐れることからも自由になった……」と言い、自由というものを実感しているのです。
「あと一枚落ちると完全な自由になる」
 完全な自由への甘い期待が訪れたとき、私はすっと天空に飛翔しました。そして天の一角から生きた光が私を包み込んだのです。…
 光は生命そのものでした。まばゆいほどに輝く黄金の光ですが、けっしてまぶしすぎはせず、私の全存在を包む温かい光でした。
 私はかつて体験したことのない明晰さで理解しました。
 「これこそ、愛の極致だ」それは動かすことのできない実感です、そして、「これこそ、至福なのだ」と悟ったのです。その一方で、「悟りとはこういうことなのだ」と理解しています、私は、「これは永遠だ」と直感で知りました。…
 すると、生命の光が、私にこの世に帰るように促したのです。
 「覚えておきなさい。最も大切なことは、『愛する』ことと『知る』ことです」そして私ははっきりと理解したのです。この世で、「愛する」ことと「知る」ことだけが生きる意味であることを。「愛する」と「知る」は、「慈愛」と「叡智」に近い感じでした。」

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posted by Fukutake at 12:15| 日記