2020年12月08日

方丈記(漱石訳)

「漱石全集 第二十二巻」初期の文章 岩波書店 

Hojiio=ki (漱石による翻訳)p285〜

 「Incessant is the change of water where the stream glides on calmly: the spray appears over a cataract, yet vanishes without a moment’s delay. Such is the fate of men in the world and of the houses in which they live. Wall standing side by side tiling vying with one another in loftiness, these are from generations past the abodes of high and low in a mighty town. But none of them has resisted the destructive work of time. Some stand in ruins; others are replaced by new structures. Their possessors too share the same fate with them. Let the place be the same, the people as numerous as before, yet we can scarcely meet on out of every ten, with whom we had long ago a chance of coming across. We see our first light in the morning and return to our long home next evening. Our destiny is like bubbles of water. Whence do we come? Whither do we tend? What ails us, what delights us in this unreal world? It is impossible to say. A house with its master, which passes away in a state of perpetual change, may well be compared to a morning-glory with a dew drop upon it. Sometimes the dew falls and the flower remains but only to die in the sunshine: sometimes the dew survives the drooping flower, yet can not live till the evening.…」

(原文)
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。…」
(鴨長明 方丈記冒頭)

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posted by Fukutake at 12:44| 日記

江戸の捕物帳

「江戸の白浪」鳶魚江戸文庫6 三田村鳶魚 朝倉治彦編 
  中公文庫 1997年

『板岡政談』と『大岡政談』 p267〜

「貸本屋の写本に『板岡政談』というのがあります。貸本屋の本は字が大きく書いてあり、行数があらいから、冊数が沢山あっても分量は少ない。『板岡政談』は三冊で、紙数も六七十枚ほどのものですから、その分量は現在の『大岡政談』とは比較にならない。これは宝暦くらいに拵えたものだろうと思われる。『板岡政談』ばかりではありません、宝暦度に出来た写本類は、大抵享保・元文度の出来事を書いたもので、拵えた時に、二十年三十年前を振り返った話になっている。この時分には、講釈としても、『太平記』や『三河後風土記』といったような戦争物を表に立てるので、その色どりとして、評定物とか、御捌物とか、敵討とかいう方へ広がってきた。太平時代の新しい材料で、講釈にもすれば読物にもする。読物の中でも新しい読物で、昔からある軍書戦記の目先を、いくら変えていくのによかったのでありますが、そういう新しいものが出てきたのが宝暦頃であったように思います。
 板岡というのは、板倉と大岡と二人の話を一緒にしたのです。両方を合わせて板岡のわけなのですが、『板岡政談』の本文を見ると、大岡の方が主となっていて、板倉の方は刺身のツマくらい担っている。板倉周防守は「板倉さんの冷火燵(ひえごたつ)」という諺があって、火(批)がない、点の打ちようがないというくらい、上手に公事を捌いた、沢山名誉な裁判をしたお方です。御捌物については無論大岡より先輩なのですが、例の「大師は弘法に奪われ、祖師は日蓮に限り、名奉行は大岡に止めた」というので、後世には大岡越前守だけが、特に有名になった。けれども、宝暦にはまだそこまでいっておりませんから、二人並べる方が、大岡の貫目を見せるのに都合がよかったと見えます。」

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「板倉・大岡政談」だったんですね。





posted by Fukutake at 12:42| 日記