2020年12月24日

死者の魂

「遠野物語 山の人生」 柳田国男 著 岩波文庫

p55〜
 「八六
 土淵村の中央にて役場小学校などのあるところを字本宿という。此所に豆腐屋を業とする政という者。今三十六七なるべし。この人の父大病にて死なんとするころ、この村と小烏瀬川を隔てたる字下栃内に普請ありて、地固めの堂突をなすところへ、夕方に政の父ひとり来たりて人々に挨拶をし、おれも堂突をなすべしとて暫時仲間に入りて仕事をなし、やや暗くなりて皆ともともに帰りたり。あとにて人々あの人は大病のはずなるにと少し不思議に思いしが、後に聞けばその日亡くなりたりとのことなり。人々悔やみに行き今日のことを語りしが、その時刻はあたかも病人が息を引き取らんとするころなりき。」

 「八七
 人の名は忘れたれど、遠野の町の豪家にて、主人大煩いして命の境に臨みしころ、ある日ふと菩提寺に訪(おとな)い来たれり。和尚鄭重にあしらい茶などすすめたり。世間話をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに遣りしに、門を出でて家の方に向かい、町の角を廻りて見えずなれり。その道にてこの人逢いたる人まだほかにもあり。誰にもよく挨拶して常の体なりしが、この晩に死去してもちろんその時は外出などすべき様態にてはあらざりしなり。後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶碗置きしところを改めしに、畳の敷合わせへ皆こぼしてありたり。」


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posted by Fukutake at 08:20| 日記

2020年12月23日

夢の星座旅行

「銀河鉄道の夜」 宮沢賢治 角川文庫

五 天気輪(てんきりん)の柱 より p165〜
 「牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上には、北の大熊星の下に、ぼんやりふだんよりも低く連なって見えました。
 ジョバンニは、もう露のふりかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのようだと思いました。
そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘っているのが見え、また頂きの、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこいらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたというように咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
 ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
 野の灯は、暗の中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞こえて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしずかによそぎ、ジョバンニの汗でぬれたシャツもつめたく冷やされました。ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
 それから汽車の音が聞こえてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果(りんご)を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。

 あああの白い空の帯がみんな星だというぞ。

 ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷たいとこだと思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、チラチラ瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈(きのこ)のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりとしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思えました。」

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そうして、銀河鉄道の夢の旅にでるのであった。
posted by Fukutake at 12:30| 日記

小林秀雄の思い出

「小林秀雄 百年のヒント」
  (「新潮」四月号 生誕百年記念 臨時増刊)2001年

小林秀雄全集 推薦の言葉 

 「自分の言葉に命をかけた人」 河合隼雄
「小林秀雄というと、白洲正子さんにお聞きした彼の生き方が目に浮かんでくる。それは端的に言えば、「自分の言葉に命をかけた人」である。彼の評論には気合が入っている。と言って、声高ではない、静かな言葉がピンと張りつめた
ものがある。
 一億総評論家などというとき、それは評論すべき対象が第一義に存在し、それに対して二義的にもの言いをする無責任さを伴う。それだからこそ、気安く楽しむこともできる。
 小林秀雄は、評論を第一義的なものとして確立することに成功した。彼は評論の対象について語ったりはしない。対象と対峙しているうちに、彼と対象との距離はほとんどゼロに接近し、そのときに彼は命をかけた言葉を書きつらねるのだ。彼の言葉が先行し、それによって対象が生きてくるとさえ感じられる。
 無責任な評論が量産されている今日において、小林秀雄を読むのは、背筋を正されるような感じがして心地よいのである。」
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  「悠然として渾然たるネヴァ河」 安岡章太郎
 「一九六三年、小林秀雄、佐々木基一の二氏に私を加えた三人は三週間ほどのソ連旅行に出た。何の目的もない旅だが、それが甚だ愉快であった。
 エルミタージュ美術館に出掛ける前夜、通訳のリヴォーヴァさんが、「いよいよエルミタージュですよ、ようく休んで疲れを取って置いてね」という。「わかりました」と佐々木さんが謹厳にこたえる。そんなヤリトリを奥の部屋で聞いていた小林さんは、「なに、エルミタージュ? どうせペテルブルグあたりに来ているのは、大したものじゃなかろうよ」と、甚だ素気ない様子であった。
 翌朝、その小林さんの姿がホテルの中に見えない。われわれが狼狽気味に部屋を探していると、「やあ失敬」と先生があらわれた。「朝起きぬけに一人でネヴァ河を見てきた」とおっしゃる。「ネヴァ河ですか」私たちは唖然とした。小林先生の地理勘は甚だ弱くて簡単な道にもすぐ迷われるからだ。「しかしネヴァは、じつに好い河だ、悠然としていて、あれこそロシアそのものだ」だが私には、その悠然渾然たるものは、河の流れよりも、寧ろ先生自身の人生態度にあるように思われた。」

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posted by Fukutake at 12:27| 日記