2020年12月25日

稀代の天才

「フォン・ノイマンの生涯」 ノーマン・マクレイ著 渡辺正・芦田みどり訳朝日新聞社 1998年

頭で世界を変えた男
p5〜「一九〇三年一二月二八日、ハンガリーの首都ブダペストにノイマン・ヤーノシュの名で生をうけたその男は、一九五七年七月八日、ジョン・フォン・ノイマンの名をもって、第二の祖国アメリカ合衆国の首都ワシントンで息を引きとった。惜しんでも余りある、早すぎる死だった。故国の人たちが愛称でヤーンチと呼んだように、合衆国でもまわりは愛称のジョニーで彼を呼んだ。世の中を一変させる偉業をなしとげながら −−とはいえおおかたの読者に彼の名前は初耳だろうけど −−偉ぶったところのない人となりをよく語る事実だから、本書でも終始ジョニーと呼ばせてもらおう。ジョニーのような人間がどんどん出れば、お金をかけなくても豊かな世界が生みだせるだろう。…」
p45〜「一九一〇〜三〇年代のブダペストで花をさかせたのが、自然科学と数学だった。どちらもユダヤ人が非凡な才能を生かして縦横無尽の活躍をした。そういう人たちは、人間の感性を問題にする世界ではなく、合理的・統計的な数値に接しやすい環境にあった。アインシュタインが「あなたがた」や「われわれ」から「それ」への逃避と哀惜の念を込めて形容したのがそれだ。ブダペストにいたジョニーと同年輩のユダヤ人から著名な数学者や科学者がひきもひらずに出たのはなぜか、さまざまな推測が行われてきた。共通点は、えり抜きの両親をもつところである。一八九〇年代にニューヨークではなく、ブダペストを目指した人たちだった。
 一八七〇〜一九一〇年の時期、彼らがエリス島(連邦移民局事務所の所在地)経由のニューヨークでなくブダペストを選んだのにはわけがある。ブダペストはニューヨークのイーストサイドよりずっと洗練されていた。ブダペストには世界屈指の高校があったけれどニューヨークにはない。ブダペストなら召使いを雇えるのに、ニューヨークではまず無理な相談。ブダペストには晩餐会の文化があった。また、ブダペストに入るには長い船旅もいらない、そんなわけでユダヤ人は、帝政ロシアのゲットー(ユダヤ人居住区)や虐殺から逃れ、帝国ドイツやドレフュス事件当時のフランスで甘んじていた格の低い市民権から自由になろうと、われがちに移動を始めた。一八九〇年代には、アメリカ航路は高根の花でもなくなっていた。船賃がぐんぐん下がり始めたからだ。もっとも、それは値段の安いクラスにかぎってのこと(このときの値下げ競争は、エコにミークラスは下げてもビジネスクラスは下げない、今どきの航空運賃によく似ている)。ハンブルグ−−ニューヨーク航路のダンピング競争で三等船室の料金は一八九〇年の二〇ドルから一〇ドルまで下がっても、上のクラスは据え置きだったし、タイタニック号のような沈みそうもない豪華船ではとりわけそうだった。だから三等船室にしか手の届かないユダヤ人はニューヨークを、金持ちはブダペストを目指すパターンが生まれ、そして理想の高校教育制度と相まって天才たちの世代を生み出した。」

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天才を生み出すブダペスト
posted by Fukutake at 11:25| 日記

至誠の御進講

「宮崎市定全集(24)随筆(下)」 岩波書店 1994年

「『御進講録』 狩野直喜著」解説 p655〜

 「第四部「儒学の政治原理」は昭和七年六月中における二回の御進講の草案である。これは儒学より見たる政治の目的、体制、手段は如何であったかを問い、特に宰相の地位任務に重点を置いて叙述し、結局政は正であって、教育感化による人民の安堵を最上とし、権力による矯正は已むを得ざる場合に限られるべきことを、歴史上の事実、特に歴代の制度と関連せしめて、最も具体的に解明する。
 総じて先生の進講内容は、その学風をそのまま現わし、普通ならば空疎な概念の羅列に終わりそうな所を、どこまでも客観的な歴史、或いは制度の面から説明されるのが特長である。これは儒者としての立場というよりも、むしろ歴史家としての立場である。故にその所論は単に政治上の参考として価値あるばかりでなく、我々章句の学徒にとっても極めて有益な文献である。それだけに先生はこの光栄ある任に当り、心血をそそいで入念に想を練られたことが、まざまざと読み取られるのである。
 先生がその学問を歴史的に把握される結果は、現実の問題に対しても、透徹した予見力あることを示された。
 「儒学の政治原理」の中において、
  世の中には、不正の行為と承知致しながら、之を犯し行うものが御座りま  するが、此れは論外と致しまして、これは君国の為めと相考え、本人は其の行為を正しき事、少なくとも道徳的には正しき事と、確信いたしましたる事にても、第三者より見ますれば、甚だ正道をかけ離れまして、其の結果国家の大罪人となりまする例も、決して少なくない事と考えます。

とある一節は、言言句句、至誠より出て、しかもそれ以後の日本国の不幸なる命運をずばり言い当てた結果となった。この名言は若し中国であったなら、必ずや正史の中に大きく書きこまれるであろう。中国において歴代、常に君側に儒臣を侍せしめたのは、蓋し深意の存する所以であったことも、さればこそと頷かれるのである。」
(みすず書房、一九八四年六月)

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posted by Fukutake at 11:23| 日記

2020年12月24日

その苦しみに意味はあるか。

「死を求める人びと」 ベルト・カイゼル 畔上 司(訳)
  角川春樹事務所 1998年

 クルート病 p75〜
 「テイス(・クルート)はこのところ、病気を利用して有名人になってやろうと思い込んでいる。死ぬ前に、恨みに思う人間を殺してやろう。そうしたら、新聞に「ALS患者が三人を殺害!」と大見出しがのるだろう。そんなことを夢想している。彼が殺したいのは、高校の同級生たちだ。彼をいじめた連中なのだろう。
 彼はあれこれ夢想しては楽しんでいる。その衰えた筋肉でも人を刺し殺す力が残っているかどうか、彼はとつおいつ思案する。殺す相手の住所も問題だ。当然、相手は元の住所にはいない。ピストルでやったほうがいいだろうか?引き金を引く力なら、まだ充分残っている。だが、銃の反動が強すぎて的をはずしてしまったら?
 もう限界だ。彼のおしゃべりをやめさせるしかない。「レーザー銃か手投げ式の中性子爆弾でも借りてくるんだね、どっちも音はしないよ。それから。アフターサービスとして精神科医をタダでつけてくれませんかってきいてみるんだね」
 彼はセンセーショナルな事件を起こしたいのだ。重症のALS患者がそれほどの重罪を犯した快挙記念として、世間がALSのことを<クルート病>と呼んでくれる日が来るのを待望しているのだ。
「彼のほうが改名したっていいのよ、もちろん」これはミーケの簡潔なアドバイス。
「でもルー・ゲーリックはそれに成功したんだよ」とテイスは力説する。彼によれば、例の野球選手ルー・ゲーリックは一九四一年にALSで死亡したため、この病気はルー・ゲーリック病とも呼ばれるようになった。
「だけど、最後の瞬間には警察にきみを突きだすからね。そこに妖精があらわれて、『いいことをしたごほうびに、ALSの新名称をつけさせてあげよう』といったら、ぼくは『準頽廃症』って答えるね。でも、もう本当に寝る時間だよ」
「ぼくの言葉を本気にしていないんだろう?」彼がたずねる。
「どうして?」
「ルー・ゲーリックの話は本当だからね」
 彼の、「ぼくは何だってできる。どっちみち長い間ぶちこまれたりはしないんだ。あと一年の命なんだ」という言葉に不安を覚える。これから冗談に紛らせて思いとどまらせられるか、それは大いに問題だ。…」

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自分がどんなに苦しんだか、その苦しみに何か意義を与えたいという欲求。
posted by Fukutake at 08:23| 日記