「恋に似たもの」 山本夏彦 文春文庫 1986年
やきもち p104〜
「この世はやきもちで動いているのではないかと、かねがね私は怪しんでいる。
何年か前、深川木場の長谷川万次郎という材木屋のご主人が死んだ。たいそうな金持ちで、何度も長者番付に出た人である。遺産が百億あったが、相続税を七十五億奪われて、実際には遺族の手にわたったのは二十五億だったと新聞で見た。
ご承知の通り我が税制は苛酷で、相続する際その大半を奪うから、金持ちは三代目には一文なしになる。共産党ではないけれど、金持ちを何か悪いもののように思っている。
私は金持ちではないが、金持ちというものは文化のためには存在したほうがいいと思って、金持ちについて調べようと心がけている。けれどもわが国には金持ちが皆無になったので、調べがつかないでいる。
金持ちがいて、中くらいがいて、貧乏人がいて、かっぱらい巾着切ドロボーのたぐいがいて、そして橋の下には乞食がいて、はじめて世の中である。それは老若男女がいて賢愚美醜がいて、はじめて世の中であるに似てる。
今の税制は金持ちを目の敵にしているから、あれは貧乏人が考えたもので、金持ちの考えたはものではないと分る。税制を改めるときは、中産階級も金持ちも参加させたほうがいい。
昨今のいわゆる中流は、百坪の土地に住むものを金持ちだと思っている。マイホームというものは、三、四十坪の土地に、二、三十坪の豆住宅を建てるものだと思っている。千坪万坪の屋敷があることを知らないし、今どきそんなものがあったら許せないといきりたつ。
戦前の山の手の住宅には、たとい貸家でも庭があって、庭があれば庭木があった。社寺があれば境内には同じく樹々が茂っていた。わが国に公園が出来なかったのは、どんな家にも庭があったから、それを必要としなかったし、それを作る発想が生じなかったのである。戦前の東京を航空写真で写したら、緑におおわれていたはずである。
持てるものから奪うのは正義だと、持たないものが思うから、税吏は遠慮なく奪うのである。税吏だって尻押しがなければ、八割も九割も奪えはしない。
------
果ては、銀行利子にも課税する。
長明の最期
「方丈記」付 現代語訳 簗瀬一雄 訳注 角川ソフィア文庫 1967年
最終章 p93〜
「さて考えてみると、私の生涯も月が傾くように終わりに近く、余命も少なくなった。もうすぐに、三悪道に落ちようとしているのだ。自分が一生の間になした行為を、今さらなんでとやかく言おうとするのか。仏の教えくださる大切な点は、なにごとにつけても、執着を持つなということである。 −− 私が今、この草庵を愛する気持ちも、罪科となろうというものだ。しずかな生活に執着するのも、往生の障害となることであろう。どうして、これ以上、役にもたたない楽しみを述べて、もったいなくも最後に残ったわずかな時間をむだにしようか。いやいや、そうしてはいられないのだ。
静かな夜の明け方に、この道理をよくよく考えて、そこで、私自身の心に向かって問いを発してみる。 −− 長明よ、おまえが世俗から脱して、山林に入りこんだのは、乱れやすい心をととのえて、仏道を修行しようがためである。それなのに、おまえは、姿だけは清浄な僧になっていて、心はけがれに染まったままだ。住む家は、まるでそのまま浄名居士維摩の方丈の小室をまねてはいるが、そこでおまえのやっていることは、どんなに見つもったって、周利槃特の修行にさえもかなうものではないぞ。ひょっとすると、これは宿業のむくいとしての貧賤がおまえ自身を悩ましているのか。あるいはまた、みだりな分別心、なまはんかな知性がこうじて、気が狂ったのか。さあ、どうだ。 −−こうして問いつめた時、私の心は、まったく答えることができない。答えられないのだ。残った方法は一つ。ここに、けがれたままの舌をうごかして、阿弥陀如来をお迎えする儀礼もととのえず、ただ念仏を二、三べんとなえるだけ。それで終わったのだ。
今は、建歴の二年*、三月の終わりごろ、出家の蓮胤、日野の庵において、この文をしるすのである。」
建歴の二年* 西暦一二一二年
-----
鴨長明の諦観
最終章 p93〜
「さて考えてみると、私の生涯も月が傾くように終わりに近く、余命も少なくなった。もうすぐに、三悪道に落ちようとしているのだ。自分が一生の間になした行為を、今さらなんでとやかく言おうとするのか。仏の教えくださる大切な点は、なにごとにつけても、執着を持つなということである。 −− 私が今、この草庵を愛する気持ちも、罪科となろうというものだ。しずかな生活に執着するのも、往生の障害となることであろう。どうして、これ以上、役にもたたない楽しみを述べて、もったいなくも最後に残ったわずかな時間をむだにしようか。いやいや、そうしてはいられないのだ。
静かな夜の明け方に、この道理をよくよく考えて、そこで、私自身の心に向かって問いを発してみる。 −− 長明よ、おまえが世俗から脱して、山林に入りこんだのは、乱れやすい心をととのえて、仏道を修行しようがためである。それなのに、おまえは、姿だけは清浄な僧になっていて、心はけがれに染まったままだ。住む家は、まるでそのまま浄名居士維摩の方丈の小室をまねてはいるが、そこでおまえのやっていることは、どんなに見つもったって、周利槃特の修行にさえもかなうものではないぞ。ひょっとすると、これは宿業のむくいとしての貧賤がおまえ自身を悩ましているのか。あるいはまた、みだりな分別心、なまはんかな知性がこうじて、気が狂ったのか。さあ、どうだ。 −−こうして問いつめた時、私の心は、まったく答えることができない。答えられないのだ。残った方法は一つ。ここに、けがれたままの舌をうごかして、阿弥陀如来をお迎えする儀礼もととのえず、ただ念仏を二、三べんとなえるだけ。それで終わったのだ。
今は、建歴の二年*、三月の終わりごろ、出家の蓮胤、日野の庵において、この文をしるすのである。」
建歴の二年* 西暦一二一二年
-----
鴨長明の諦観
posted by Fukutake at 10:57| 日記