2020年10月09日

人の立場に立て

「現在語訳 論語」宮崎市定 岩波現代文庫

1 顔淵第12(297)

 「季康子が政治のあり方を孔子に問うて曰く、如(も)し無道の悪者を殺して、有道の善人だけの社会にすることができるでしょうか。孔子対えて曰く、貴方が政治ということをなさるつもりならば、人を殺す必要はありません。貴方が本当に善を欲するならば、人民は善くならないはずはありません。為政者の本質を風とすれば、人民は本質は草のようなものです。草は風に吹かれれば、必ず靡くものです。」


2 衛霊公第15(401)

 「子曰く、諸君は言葉を聞いただけでその人を評価してはならないし、たとえつまらぬ人でも言うことがよかったら聞き流してはならない。」


3 衛霊公第15(402)

 「子貢が尋ねた。簡単に一言で一生涯それを行う価値のあるものがありましょうか。子曰く、それは恕、人の身になることだ。人の身になってみたなら、自分の欲しないことを、人に加えることなどできるものではない。」

------
古今東西の世界に通ずる金言。
posted by Fukutake at 08:32| 日記

明治初期の福島会津地方

「日本奥地紀行」 イザベラ・バード 高梨健吉 訳 
  東洋文庫 平凡社1973年

第十三信 車峠にて 六月三十日(猪苗代湖付近) p114〜

  「「外人が来た!」と大声で叫ぶ。すると間もなく、目あきも目くらも、老人も若者も、着物を着た者も裸の者も、集まってくる。…
 千人もの人々が集まっているのを見た。昔、ガラリアから奇蹟を行なう人(キリスト)が着いたときユダヤの町々から群衆が出てきた様子が、私には理解できるような気がする。…これらの群衆は静かで、おとなしく、決して押しあいへしあいをやらないからである。
 (翌朝宿を出ると)二千人をくだらぬ人びとが集まっていた。私が馬に乗り鞍の横にかけてある箱から望遠鏡を取り出そうとした時であった。群衆の大逃走が始まって、老人も若者も命がけで走り出し、子どもたちは慌てて逃げる大人たちに押し倒された。伊藤が言うには、私がピストルを取り出して彼らをびっくりさせようとしたと考えたからだという。そこで私は、その品物が実際にはどんなものか彼に説明させた。優しくて悪意のないこれらの人たちに、少しでも迷惑をかけたら、心からすまないと思う。…
 ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群衆にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。旅が終わると、心づけを欲しがってうろうろしていたり、仕事をほうり出して酒を飲んだり雑談をしたりすることもなく、彼らは直ちに馬から荷物を下ろし、駅馬係から伝票をもらって、家に帰るのである。ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里を戻った。彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。それは見ていてもたいへん気持ちがよい。伊藤が私に対する態度は、気持ちのよいものでもなければ丁寧でもない。しかし同じ日本人に向かって話しかけたりする時には、日本人同士の礼儀作法の束縛から脱けきることができず、他の日本人に劣らず深々とお辞儀をして、丁寧な言葉使いをするのである。」

-----
明治期田舎の日本の様子が活写されてる。
posted by Fukutake at 08:30| 日記