2020年10月08日

 表現と言葉

「モオツァルト」小林秀雄 角川文庫 

表現について p69〜
 「もともと言葉と音楽はいっしょに人間に誕生したものである。一つの叫び声は一つの言葉です。リズムや旋律の全くない言葉を、私たちはしゃべろうにもしゃべれない。歌はそこから自然に発生した。古い民謡は、音楽でもあり詩でもある。しかも歌う人は、両者の渾然たる統一のなかにあるのであるから、その統一さえ意識しませぬ。彼はただ歌を歌うのだ。ただ歌うのであって、いかなる歌詞をいかなる音楽によって表現しようかというような問題はそこにはないのであります。
 こういう問題が現れてくるためには、表現力において、人声という楽器をはるかにしのぐ楽器の出現が必要だった。人間の声にある男女の別や個人差を全く消し去って、常に同一な純粋な音を任意に発生させ、人声を使用してはとうてい成功おぼつかない豊富な和音や、正確な迅速な転調が、やすやすとできるような楽器の出現、つまり非人間的な音のメカニスムが発明され、それが人間に対立するということが必要だったのであります。ここに非人間的楽器が、いかにして人間的内容を表現しうるかという問題が自覚される。もちろん、一方、これに、時代思想は。個人の発見、自覚、内省という方向に動いていき、表現すべき人間的内容に関する意識は、いよいよ複雑なものになり、とうてい、単純な表現手段では間に合わなくなっているという事情が、照応しているのであります。…
 ボオドレエルの「ワグネル論」のなかに、こういう言葉があります。「批評家が詩人になるということは驚くべきことかもしれないが、一詩人が、自分のうちに一批評家を蔵しないということは不可能である。私は詩人を、あらゆる不批評家の中の最上の批評家とみなす」。これは、次のような意味になる。天賦の詩魂がなければ詩人ではないだろうが、そういうものの自然的展開が、詩であるような時はすでに過ぎたのである。近代の精神力は、さまざまな文化の領域を目ざして分化し、さまざまな様式を創り出す傾向にあるが、近代詩は、これに応ずる用意を欠いている。… 詩作とは日常言語のうちに、詩的言語を定立し、組織するというきわめて精緻な知的技術であり、霊感と計量とを一致させようとするおそらく完了することのない知的努力である。それが近代詩人が、みずからの裡(うち)に批評家を蔵するという本当の意味であって、かような詩作過程に参加している批評家を考えれば、それは最上の批評家と言えるであろう。おそらくそういう意味なのであります。」

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日常言語から詩的言語への飛翔。
posted by Fukutake at 11:37| 日記

真っ当な告知

「聖徳太子 法華義疏(抄) 十七条憲法」 瀧藤尊教 田村晃祐 早島鏡正 訳
中公クラシックス 2007年

「十七条憲法 (全文の後半)

 「八に曰く、群卿百寮、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退(まか)でよ。公事盬(いとま)なし。終日(ひねもす)にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝(まい)るときは急なることに逮(およ)ばず。早く退(まか)るときはかならず事尽くさず。
 九に曰く、信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとく敗れん。
 十に曰く、こころにいかり<忿>を絶ち、おもてのいかり<瞋>を棄てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とす、われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともに凡夫のみ。是非の理、詎(たれ)かよく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に順いて同じく挙(おこな)え。
 十一に曰く、功過を明らかに察(み)て、賞罰かならず当てよ。このごろ賞は功においてせず、罰は罪においてせず、事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。
 十二に曰く、国司・国造、百姓に斂(おさ)めることなかれ。国に二君なし。民に両主なし。卒土の兆民は王をもって主となす。所任の官司はみなあえて公と、百姓に賦斂(おさめ)らん。
 十三に曰く、もろもろの官に任ぜる者、同じく職掌を知れ。あるいは病し、あるいは使して、事を闕(おこた)ることあらん。しかれども知ることを得る日には、和(あまな)うことむかしより<曾>識れるがごときせよ。それ与り聞かずということをもって、公務をな妨げそ。
 十四に曰く、群臣百寮、嫉妬あることなかれ、われすでに人を嫉(うらや)むときは、人またわれ嫉む。嫉妬の患(うれ)え、その極を知らず。このゆえに、智おのれに勝るときは悦ばず、才おのれに優るときは嫉妬(ねた)む。ここをもって、五百歳にしていまし今賢に遇うとも、千載にしてひとりの聖を待つこと難し。それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。
 十五に曰く、私を背きて公に向(ゆ)くは、これ臣の道なり。およそ人、私あるときはかならず恨みあり。憾みあるときはかならず同(ととのお)らず。同らざるときは私をもって公を妨ぐ。憾み起こるときは制に違い、法を害(やぶ)る。ゆえに初めの章に云う、上下和諧せよ、と。それまたこの情(こころ)か。
 十六に曰く、民を使う時をもってするは、古の良き典なり。ゆえに、冬の月に間(いとま)あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。桑とらずば何をか服(き)ん。
 十七に曰く、それ事はひとり断(さだ)むべからず。かならず衆とともに論(あげつら)うべし。少事はこれを軽(かろ)し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もし失(あやまち)あらんことを疑う。ゆえに衆と相(あい)弁(わきま)うるときは、辞(こと)すなわち理を得ん。」

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現代にも十分通じる鉄論。
posted by Fukutake at 11:35| 日記