「怪談入門」乱歩怪異小品集 江戸川乱歩 東雅夫編
平凡社ライブラリー 2016年
エドガー・アラン・ポー、逝きて百年 p307〜
「旅役者の子と生まれ、幼にして孤児となり、後に義父とも仲たがいして、病弱と貧苦に終始したポーの短い人生ほどいたましいものはない。飲酒癖も、数々の恋愛沙汰も、友人達に見捨てられる原因となったハシタ金の借金も、凡て彼自身の罪ではなく、恐らく遺伝と環境のなせる業であった。
あれだけの傑作を次々に発表しながら、稿料というものは殆ど無に等しく、懸賞に当選した「瓶中の記録」の五十ドル、「黄金虫」の百ドルが恐らく生涯最高の原稿収入であった。彼のもっとも幸福であったグレアム雑誌主筆時代、年俸八百ドルまで昇級したが、これが最高の報酬で。その幸福も彼自身の困った性格のため二年とは続かず、雑誌から雑誌へと転々し、自分だけの雑誌が出したい、五百人の月極めの読者が得たいというのが、遂に果たさなかった彼の一生の望みであった。
今から丁度百年前(一八四九年)の十月三日、その前から頭が変になっていた彼は、ボルチモアにわけのわからぬ旅をして、折からの選挙運動の暴力団にまきこまれ、汚い酒場で」酔いつぶれて瀕死の状態になっていた。僅かに面識のある同地の知人の名を口にしたので、その人が駆けつけ、彼を病院に入れたが、病院での四日間は凶暴な発作と熱病のうわごとに終始した。最期の夜は、彼の唯一の長編「ゴードン・ビム」の荒涼たる暗黒の海と難破の夢を見ていたらしく、「レイノルズ」(「ゴードン・ビム」に引用した南極探検隊の名)「レイノルズ」「オオ、レイノルズ」と恐ろしい声で呼びつづけ、それが病院中に響き渡った。そして、その翌十月七日の明け方、彼は唯一人枕頭に侍する友もなく、息絶えたのであった。
この比べるものもないみじめな生涯に比して、彼の死後の光栄は何という驚くべき対照であろう。アメリカ史上最大の文豪の一人、博物館のポーの部屋、各地の銅像、記念碑、ポー・シュライン、そして彼の原稿の一片、初版本の一冊すら、恐らく彼の生涯の全収入に匹敵する価値を生じたのである。
貝殻の病が重ければ重いほど、その生み出す真珠は貴いのだという、あの古いたとえを私は今も信じている。」
(「報知新聞」昭和二十四年十月四日)
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文豪、文豪を知る。
休息せよ
「ペルシャ逸話集」カーブースの書*四つの講話
カイ・カーウースニザーミー 著 黒柳恒男 訳
東洋文庫(平凡社)1969年
第十七章 睡眠と休息について p64〜
「知れ、息子よ。ギリシャの聖賢のつねとして、浴室からあがると、しばらく浴場の脱衣場で横たわり、それから外に出たものだ。かかる習慣はほかの国民にはない。賢者は睡眠を「小さな死」と呼んでいる。というのは眠っている人も死んだ人もともに世間を意識しないからである。一方は呼吸をせず死んでおり、他方は呼吸をして死んでいないだけの違いである。
過度の睡眠は感心しない習慣で、体を鈍らせ、気分を乱し、顔付きまで変えてしまう。人に作用したら、ただちに顔付きまで変えてしまうものが六つある。第一には突然の喜び、第二は目に見えぬ心配、第三は憤怒、第四は睡眠、第五は酩酊、第六は老齢である。だが年をとると姿まで変わるからそれは別である。
さて、人は眠っていると、生者の列にも死者の列にもはいらない。死んだ人にも眠っている人にも令状は通用しない。こんな四行詩がある。
いかに邪慳にわが背を曲げさせても
そなたへの愛は忘れられぬ
愛しき者よ、そなたから離れられぬ
今そなたは眠り、眠るものに令状出せぬ
眠すぎが有害であると同じように、眠らぬのも有害である。もし人が七十二時間故意に眠らされず、無理矢理おこされていたら、急死の恐れがある。なにごとにも程度がある。
賢者はこう述べている。「昼夜二十四時間あり、その三分の二は起きており、三分の一は眠れ」。すなわち八時間は至高なる神への信仰に励み、八時間は楽しみ、歓楽、気分爽快に当て、残る八時間を休息に当てれば、さきの十六時間で疲れた体の各部が休まるであろう。愚か者は二十四時間のうち半分は眠り、半分起きているが、賢者は三分の一の眠り、三分の二は起きている。」
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小さな死。
カイ・カーウースニザーミー 著 黒柳恒男 訳
東洋文庫(平凡社)1969年
第十七章 睡眠と休息について p64〜
「知れ、息子よ。ギリシャの聖賢のつねとして、浴室からあがると、しばらく浴場の脱衣場で横たわり、それから外に出たものだ。かかる習慣はほかの国民にはない。賢者は睡眠を「小さな死」と呼んでいる。というのは眠っている人も死んだ人もともに世間を意識しないからである。一方は呼吸をせず死んでおり、他方は呼吸をして死んでいないだけの違いである。
過度の睡眠は感心しない習慣で、体を鈍らせ、気分を乱し、顔付きまで変えてしまう。人に作用したら、ただちに顔付きまで変えてしまうものが六つある。第一には突然の喜び、第二は目に見えぬ心配、第三は憤怒、第四は睡眠、第五は酩酊、第六は老齢である。だが年をとると姿まで変わるからそれは別である。
さて、人は眠っていると、生者の列にも死者の列にもはいらない。死んだ人にも眠っている人にも令状は通用しない。こんな四行詩がある。
いかに邪慳にわが背を曲げさせても
そなたへの愛は忘れられぬ
愛しき者よ、そなたから離れられぬ
今そなたは眠り、眠るものに令状出せぬ
眠すぎが有害であると同じように、眠らぬのも有害である。もし人が七十二時間故意に眠らされず、無理矢理おこされていたら、急死の恐れがある。なにごとにも程度がある。
賢者はこう述べている。「昼夜二十四時間あり、その三分の二は起きており、三分の一は眠れ」。すなわち八時間は至高なる神への信仰に励み、八時間は楽しみ、歓楽、気分爽快に当て、残る八時間を休息に当てれば、さきの十六時間で疲れた体の各部が休まるであろう。愚か者は二十四時間のうち半分は眠り、半分起きているが、賢者は三分の一の眠り、三分の二は起きている。」
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小さな死。
posted by Fukutake at 09:00| 日記