「小林秀雄 百年のヒント」(「新潮」四月号 生誕百年記念臨時増刊)
2001年
「わが小林秀雄 『言葉とモノ』」
養老孟司 p286〜
「生まれたときから、鎌倉に住んでいる。本屋でたまに見かける、まさに鶴のような老人が小林秀雄たったはずだというのは、あとで気がついたことである。
私の家は駅前の路地にあった。そこを出て、鶴岡八幡宮に向かう別な路地をしばらく行くと、小林という標札がかかった目立つ家があった。これが小林秀雄が最後に住んだ家ではないかと思う。
駆け込み寺、今では隆慶一郎の時代小説の舞台といったほうが一般的かと思うが、その東慶寺に小林秀雄の墓がある。鎌倉時代の五輪塔を利用したもので、バレーボールの大松監督の墓の近くにある。ただし、文字が入っていない。だから知らない人は、小林秀雄の墓とは思わないであろう。…
小林秀雄は物理好きだったらしい。書いているものを読むと、昔のインテリの物理好みが出ているような気がする。脳はだめである。脳科学なんか、ほとんど信じていなかったと思う。たとえ本人が脳研究をしても、エックルスやペンフィールドのように、晩年になって「脳を調べても心はわからない」といったかもしれない。調べる前からそういっていたから、この二人の先駆者よりもっと先駆的だったともいえる。
言葉の研究から脳が抜けているのは、明らかにおかしい。小林秀雄には、あるいは彼が代表する時代風潮には、いくらかその責任がある。脳の科学など持ち出さなくても、言葉を考えるためには、脳を思考から抜くことができないことは、当時の常識としても明らかだったと思うからである。仏文出身であるなら、デカルトを読まないはずはない。デカルトのコギトは、繰り返し私が戻る主題である。いまではコギトが言葉の根源かもしれないと思う。…
言葉とモノ。それに私は脳を付け加える。それだけである。そうすれば、小林秀雄が停止した点から、一歩進むことができる。その意味で、私は小林の後生である。後生畏るべし。小林秀雄がそう思うかどうか、それは知らない。ともかく私は彼の先を考えていると勝手に思っている。それは私が後の時代に生まれたからに過ぎない。」
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脳が考える外的世界はウソかもしれない。小林秀雄は言葉を信じた。
最終段 道行き
「曽根崎心中」近松門左衛門 角川ソフィア文庫 2007年
曽根崎心中 お初徳兵衛道行 夢の夢 p155〜
「此の世のなごり。夜もなごり。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の露。一足づつに消えて行く。夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ふれば暁の。
七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の。鐘の響きの聞きおさめ。寂滅為楽と響くなり。鐘ばかりかは。草も木も。空になごりと見上ぐれば。雲心なき水の音 北斗はさえて影うつる星の妹背の天の川。梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りて(徳兵衛)「いつまでも。我とそなたは女夫(めおと)星。かならず添ふ」とすがり寄り。二人が中に降る涙 川の水嵩もまさるべし。向ふの二階は。何屋とも。おぼつか情け最中にて。まだ寝ぬ灯影声高く。今年の心中よしあしの。言の葉草や。しげるらん。聞くに心もくれはどり(お初)「あやなや昨日今日までも。よそにいひしが明日よりは我も噂の数に入り。世にうたはれんうたはばうたへ」うたふを聞けば。」
…
(お初)「なつかしの母様やなごり惜しの父様や」と。しやくりあげあげ声も惜しまず泣きければ。夫もわつと叫び入り、流涕こがるる心意気 理(ことわり)せめて哀れなれ。(お初)「いつまでもいうてせんもなし。はやくはやく殺して殺して」と最期を急げば(徳兵衛)「心得たり」と。脇差するりと抜き放し。(徳兵衛)「サア只今ぞ 南無阿弥陀仏々々々々々」と。いへどもさすがに此の年月いとしかはいと締めて寝し。肌に刃が当てられうかと。眼(まなこ)もくらみ手も震ひ弱る心を引き直し。取り直してもなほ震ひ突くとはすれど切先は。あなたへ外れこなたへそれ。二三ひらめく劔の刃。あつとばかりに喉笛に。ぐつと通るが(徳兵衛)「南無阿弥陀仏々々々々々南無阿弥陀仏」と。くり通しくり通す腕先も。弱るを見れば両手を延べ。断末魔の四苦八苦。哀れといふも余り有り。(徳兵衛)「我とても後(おく)れうか息は一度に引き取らん」と。剃刀取って喉に突き立て。柄も折れよ刃も砕けとゑぐり。くりくり目もくるめき、苦しむ息も暁の知死期(ちしご)につれて絶え果てたり。
誰(た)が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞こえ、取り伝え貴賎群衆(きせんぐんじゅ)の回向の種 未来成仏 疑ひなき恋の手本となりにけり。」
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曽根崎心中 お初徳兵衛道行 夢の夢 p155〜
「此の世のなごり。夜もなごり。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の露。一足づつに消えて行く。夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ふれば暁の。
七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の。鐘の響きの聞きおさめ。寂滅為楽と響くなり。鐘ばかりかは。草も木も。空になごりと見上ぐれば。雲心なき水の音 北斗はさえて影うつる星の妹背の天の川。梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りて(徳兵衛)「いつまでも。我とそなたは女夫(めおと)星。かならず添ふ」とすがり寄り。二人が中に降る涙 川の水嵩もまさるべし。向ふの二階は。何屋とも。おぼつか情け最中にて。まだ寝ぬ灯影声高く。今年の心中よしあしの。言の葉草や。しげるらん。聞くに心もくれはどり(お初)「あやなや昨日今日までも。よそにいひしが明日よりは我も噂の数に入り。世にうたはれんうたはばうたへ」うたふを聞けば。」
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(お初)「なつかしの母様やなごり惜しの父様や」と。しやくりあげあげ声も惜しまず泣きければ。夫もわつと叫び入り、流涕こがるる心意気 理(ことわり)せめて哀れなれ。(お初)「いつまでもいうてせんもなし。はやくはやく殺して殺して」と最期を急げば(徳兵衛)「心得たり」と。脇差するりと抜き放し。(徳兵衛)「サア只今ぞ 南無阿弥陀仏々々々々々」と。いへどもさすがに此の年月いとしかはいと締めて寝し。肌に刃が当てられうかと。眼(まなこ)もくらみ手も震ひ弱る心を引き直し。取り直してもなほ震ひ突くとはすれど切先は。あなたへ外れこなたへそれ。二三ひらめく劔の刃。あつとばかりに喉笛に。ぐつと通るが(徳兵衛)「南無阿弥陀仏々々々々々南無阿弥陀仏」と。くり通しくり通す腕先も。弱るを見れば両手を延べ。断末魔の四苦八苦。哀れといふも余り有り。(徳兵衛)「我とても後(おく)れうか息は一度に引き取らん」と。剃刀取って喉に突き立て。柄も折れよ刃も砕けとゑぐり。くりくり目もくるめき、苦しむ息も暁の知死期(ちしご)につれて絶え果てたり。
誰(た)が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞こえ、取り伝え貴賎群衆(きせんぐんじゅ)の回向の種 未来成仏 疑ひなき恋の手本となりにけり。」
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posted by Fukutake at 11:04| 日記
2020年10月27日
役人のヤキモチ
「恋に似たもの」 山本夏彦 文春文庫 1986年
やきもち p104〜
「この世はやきもちで動いているのではないかと、かねがね私は怪しんでいる。
何年か前、深川木場の長谷川万次郎という材木屋のご主人が死んだ。たいそうな金持ちで、何度も長者番付に出た人である。遺産が百億あったが、相続税を七十五億奪われて、実際には遺族の手にわたったのは二十五億だったと新聞で見た。
ご承知の通り我が税制は苛酷で、相続する際その大半を奪うから、金持ちは三代目には一文なしになる。共産党ではないけれど、金持ちを何か悪いもののように思っている。
私は金持ちではないが、金持ちというものは文化のためには存在したほうがいいと思って、金持ちについて調べようと心がけている。けれどもわが国には金持ちが皆無になったので、調べがつかないでいる。
金持ちがいて、中くらいがいて、貧乏人がいて、かっぱらい巾着切ドロボーのたぐいがいて、そして橋の下には乞食がいて、はじめて世の中である。それは老若男女がいて賢愚美醜がいて、はじめて世の中であるに似てる。
今の税制は金持ちを目の敵にしているから、あれは貧乏人が考えたもので、金持ちの考えたはものではないと分る。税制を改めるときは、中産階級も金持ちも参加させたほうがいい。
昨今のいわゆる中流は、百坪の土地に住むものを金持ちだと思っている。マイホームというものは、三、四十坪の土地に、二、三十坪の豆住宅を建てるものだと思っている。千坪万坪の屋敷があることを知らないし、今どきそんなものがあったら許せないといきりたつ。
戦前の山の手の住宅には、たとい貸家でも庭があって、庭があれば庭木があった。社寺があれば境内には同じく樹々が茂っていた。わが国に公園が出来なかったのは、どんな家にも庭があったから、それを必要としなかったし、それを作る発想が生じなかったのである。戦前の東京を航空写真で写したら、緑におおわれていたはずである。
持てるものから奪うのは正義だと、持たないものが思うから、税吏は遠慮なく奪うのである。税吏だって尻押しがなければ、八割も九割も奪えはしない。
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果ては、銀行利子にも課税する。
やきもち p104〜
「この世はやきもちで動いているのではないかと、かねがね私は怪しんでいる。
何年か前、深川木場の長谷川万次郎という材木屋のご主人が死んだ。たいそうな金持ちで、何度も長者番付に出た人である。遺産が百億あったが、相続税を七十五億奪われて、実際には遺族の手にわたったのは二十五億だったと新聞で見た。
ご承知の通り我が税制は苛酷で、相続する際その大半を奪うから、金持ちは三代目には一文なしになる。共産党ではないけれど、金持ちを何か悪いもののように思っている。
私は金持ちではないが、金持ちというものは文化のためには存在したほうがいいと思って、金持ちについて調べようと心がけている。けれどもわが国には金持ちが皆無になったので、調べがつかないでいる。
金持ちがいて、中くらいがいて、貧乏人がいて、かっぱらい巾着切ドロボーのたぐいがいて、そして橋の下には乞食がいて、はじめて世の中である。それは老若男女がいて賢愚美醜がいて、はじめて世の中であるに似てる。
今の税制は金持ちを目の敵にしているから、あれは貧乏人が考えたもので、金持ちの考えたはものではないと分る。税制を改めるときは、中産階級も金持ちも参加させたほうがいい。
昨今のいわゆる中流は、百坪の土地に住むものを金持ちだと思っている。マイホームというものは、三、四十坪の土地に、二、三十坪の豆住宅を建てるものだと思っている。千坪万坪の屋敷があることを知らないし、今どきそんなものがあったら許せないといきりたつ。
戦前の山の手の住宅には、たとい貸家でも庭があって、庭があれば庭木があった。社寺があれば境内には同じく樹々が茂っていた。わが国に公園が出来なかったのは、どんな家にも庭があったから、それを必要としなかったし、それを作る発想が生じなかったのである。戦前の東京を航空写真で写したら、緑におおわれていたはずである。
持てるものから奪うのは正義だと、持たないものが思うから、税吏は遠慮なく奪うのである。税吏だって尻押しがなければ、八割も九割も奪えはしない。
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果ては、銀行利子にも課税する。
posted by Fukutake at 10:59| 日記