2020年01月10日

近代日本の自立

「内なる外国」 『菊と刀』再考 C.ダグラス・スミス 
 加地永都子 訳 ちくま学芸文庫 1997年
(その2)
 習俗、慣習そして世論

p209〜
 「… 近代的国民国家の勃興と社会組織の近代的方法論とによって、彼ら(明治の指導者)は既存の社会をつくり変えるために、マキャベリやルソーが思い描いたいかなるものにもまして強力な道具を手に入れた。近代社会組織のもっとも完璧なモデルは軍隊組織であると正しく理解した明治の指導者たちは、この農民たちの国を戦士の国家であると確信させようと企てた。明治政府がまず最初に行った仕事に中には、義務教育制度と兵役制の導入があったが、兵役制の創始者は後にこう広言するにいたった。「時いたればこの国は偉大な文武両方の大国になるだろう」。よく知られるように、一八九八年(明治三十一年)にできた民法は、家族の構造と家庭内における権力関係を固定化し、家長の権力を国家権力によって支えるところまでいった。事実、同民法は家族を一種の小隊にしたてあげ、家長をその隊長としたのである。近代日本をめぐる重大な神話のひとつは、明治の家族制度を「封建的」ないし「伝統的」とするものだ。この神話は歴史的かつ人類学的証拠によってくり返し破産してきた事実にも関わらず、驚くほど広く流布している。この混乱は近代化にたいする見方が間違っているところから生じているように思われる。「伝統」は抑圧的なものであるのに対し「近代化」は解放勢力であるとするロマン主義的考えが、その社会に何か抑圧的なものがあればそれは「伝統的」であるにちがいないという結論に人びとを導くことが多いものだ。事実は、「近代化」が何ものかを意味するとすれば、その意味は合理化であり、自然であれ、人間であれ、すべての資源を国家権力と生産性が最大限になるように、一国内で計画的に組織化することなのである。もちろんそのための方法はさまざまで、中には他の方法と比べてより抑圧的なものがある。またそのプロセスを飾り立て、人の目から隠すようなさまざまなスタイルや神秘かも神秘化もある。しかし、一人ひとりの市民から最大限の忠誠と生産性を抽出するという目的のために、日本を根本的に変容させ、家族を最小単位として組織された中央集権的国民国家にしようという思想− これは伝統ではなく、近代化のプロセスの一部にほかならない。
 明治の計画立案者たち自身は、このことをはっきり理解していた。そして神秘的な家族国家イデオロギーの熱烈なる主唱者、穂積八束ですら − あるいはとくに彼は − これを理解していた。穂積の主張によれば、家族国家神話の目的のすべては、「世界で競合しうるために」国家の結束力をつくり出すことにあった。」

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どう分析しようが、日本が生き残るために、どうすれば世界の大国といかに競争し、繁栄できるかを考えたのだ。
posted by Fukutake at 10:37| 日記