2020年01月02日

聾者の優位性

「手話の世界へ」 オリバー・サックス 佐野正信訳 晶文社 1996年
(その4)

聾者の視覚能力の拡大
p201〜

 「聴覚の損失は視覚によって「埋め合わせる」のではないか −− これは古くからある直感的洞察だが、<手話>を使っているだけでそうなるわけではない。発話の世界にいつづける言語獲得後喪失者も含む、あらゆる聴覚障害者が、視覚能力を向上させ、社会のなかでも視覚志向を強めているのである。これについてデイヴィッド・ライトは『音を失って』のなかで次のように述べている。

 私は以前より多くのものに目をとめるようになったのではなく、以前とちがった仕方で目を止めるようになったのだ。目をとめるのは −− というより、出来事の解釈や判断に必要なデータがほとんどそれしかないという理由で、やむにやまれぬ思いから目をこらすのは、その対象の示す動き、動物や人間でいえば、姿勢、表情、歩き方、ジェスチャーなどの動き… なのである。たとえば、友人が電話を終えるのを今か今かと待っている人間が、漏れ聞いた話の断片や声の調子からようやく切りそうだと判断するように、ろう者も、ガラス越しに内部が見える公衆電話のまえに並んで順番を待っているようなときに、そろそろ「じゃ、これで」といいそうなころあいだとか、もう受話器を置きそうなころあいだとか判断するのである。そんなときろう者は、受話器をもう一方の手にもち変える動作だとか、姿勢の変化だとか、受話器から一ミリの何分の一身を引く動きだとか、ちょっとしたすり足だとか、次の行動をそれとなく示す微妙な表情の変化だとかに目をとめる。聴覚的な手がかりから切りはなされたろう者は、ごくかすかな視覚的事実も見逃さなくなるのだ。

 これと同じ感覚の鋭さは、ろうの親をもつ健聴児でも保持されるかもしれない。たとえばアーローは、次のような事例を紹介している。

 その患者は幼少期からずっと両親の顔を凝視しつづけていた …。(その患者は)表情を通して伝わる意図や意味に極度に敏感になった…。(ろうの)父親と同様、とりわけ他人の顔に敏感で、商売相手の意図や本心を正確に見抜くことができた …。だからふつうの商談では、相手より自分のほうがずっと有利だと感じていた。」


----------
人間の能力の不思議
 
 
他のブログをご覧になる方はhttp://busi-tem.sblo.jp/
posted by Fukutake at 11:19| 日記