2020年01月31日

ポリティカル・コレクトの弊害

「『浮気』を『不倫』と呼ぶな − 動物行動学で見る「日本型リベラル」−」
 竹内久美子*川村二郎 WAC 2018年
 (その1)

日本型リベラルとは
 p21〜
 「川村:詩人の田村隆一さんは「世の中をおかしくしたのは、アメリカの禁酒法と、日本の売春禁止法だ」と仰ってましたが、女性が正義論や理想論を振りかざすと、誰も反論ができない。田村さん曰く、売春防止法のせいで、日本中が廓(くるわ)のようになってしまったと(笑)。
 竹内:従軍慰安婦と同じ話ですね。慰安婦がいなかったら、普通の人が兵隊に犯されていた。
 川村:慰安婦は一種の必要悪ではないでしょうか。
 竹内:「日本型リベラル」は、驚くほどあらゆる分野に巣くっています。歴史的に見て共産主義、社会主義が立ち行かないことがわかっても、彼らはしがみついている。
 川村:どうしてでしょう。
 竹内:現実を見ない、現実から目を逸らしたい、一旦染みついた思想は拭い去ることができない… など、いろいろ考えたのですが、これほどまでに蔓延していることからして、もっと根深いところに原因があるのではないかと思ったんです。共産主義・社会主義は、貧富の差がなく平等である社会を目指します。一見すると何ら反論を許さない、理想論に思えますが、要は何らの能力や才能によってものすごく稼ぐことができる男性と、あまり稼ぎがない男性がいる。稼ぎのない男が、それはけしからんと言っているだけみたいに思えるんです。「平等」も、自分が女性にモテないから、俺のところにも平等に女性を分け与えろ。そういう意味ではないかと思ったんです。
 川村:平等なのは法の前だけでしょう。ひがみの裏返しですね。
 竹内:そう考えると、にわかに彼らの言動が納得できるようになります。私がはじめて、そういう人たちのいることを知ったのは、大学に入ってすぐの頃です。京都大学は民青(日本民主青年同盟、共産党の青年組織)の連中が非常に多かったんです。私はその頃、政治的な思想についてよくわからなかったのですが、どうも民青の男性は揃いも揃って、普通は女性が寄り付かないであろう、救いがたいブ男であることがわかりました(笑)。」

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痛快、快哉。

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2020年01月30日

脳機能の不思議

「DNAに魂はあるか 驚異の仮説」 F.クリック 中原英臣・佐藤峻 訳 
 講談社 1995年
(その2)

傷ついた脳
p225〜
 「たとえば、ある患者は車を車として認識できるが、その車がフォードなのか、ロールスロイスなのか識別できない。しかし、普通の車と違う救急車は見分けられた、またこの患者は、シャツは認識できても、礼装用のシャツと普通のシャツとが区別できなかった。
 非常に軽い程度の識別の困難さなら、誰でもが経験している。アメリカには「日本人と中国人は同じに見える」という言葉がある。多分、日本人もイギリス人とフランス人が同じに見えるに違いない。相貌失認は、これが極端になったものである。
 ダマシオは、顔が認識できなくても、顔の表情や年齢、さらに性別を認識できる患者も発見している。また、別の患者はこうした能力を欠いていた。このような患者が存在することは、顔の認識に関する機能が、脳のいろいろな部分で分担されていることを示唆している。
 相貌失認を起こす脳のメカニズムについては諸説がある。相貌失認は一般的な記憶障害の一種であるという主張に対しては、たとえば視覚以外の聴覚といった感覚も記憶の引き金になることから、ダマシオはそれを否定している。相貌失認を起こす脳のメカニズムは、今後、そのタイプごとに解明されるべきものであろう。
 別の患者では、脳損傷が左右両側の数か所に局在していた。
 この患者は非常に脅えていた。患者には、ある場所に静止しているように見えた物体や人物が、次の瞬間には別の場所に見える。その途中の動きは認識できないのである。特に道路を横断するときに、患者は強い不安を覚えた。遠くに見えていた車が、突然、すぐ近くに来てしまうのだから無理もない。
 また、紅茶をカップに注ぐときには、きらきらと輝く液体のアーチが空中に凍りついているように見えた。紅茶の液面の上昇が感じられないので、溢れさせてしまうこともあった。まるでストロボに照らされたディスコのように、一瞬一瞬が静止した世界なのであった。
 このように実際は動いていても動きが知覚できないという例は多いが、日常生活における時間スケールでは、取り立てて問題にもならない。論理的に推理しなくても、動きそのものを理解できる特別なメカニズムが、明らかに人間の脳には存在しているのだ。」

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脳の機能障害は恐ろしい

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2020年01月29日

メモしろ

「医師は最善を尽くしているか Better: a surgeon’s notes on performance」 アトゥール・ガワンデ 原井宏明訳 みすず書房 2013年

あとがき より
医学生への五つのアドバイス(その4)
 p235〜
 「私の四つめのアドバイスは「何か書け」である。無理なことをしろというつもりはない。ブログに数節書いたり、医学雑誌に論文を投稿したり、あるいは文学同好会で自作の詩を披露したりなど何でもいい。とにかく書きなさい。完璧を目指す必要はない。あなた自身の世界を観察してくれる他人を加えることが必要である。
 たとえ、控えめなものでも、書くことによる貢献の効果を見くびってはいけない。… 控えめな貢献でもそれを大勢からまとめれば、個人技では絶対できないようなパワフルなノウハウの集積ができあがる。これが科学の内側でも外側でも真実なのである。
 また、書くという行為自体の力を見くびってもいけない。医師になるまでは私自身書いていなかった。しかし、いったん医師になると、書く必要があると気づいた。医療は複雑だから、知的というより、身体的な苦労を強いる。医療は小売業だから、医師は自分のサービスを一人、また一人と一人ずつ提供しなければならず、単調で辛い仕事にもなる。なんのためにやっているのか大きな目的を見失うこともあるだろう。しかし、書くという行為は仕事から一歩身を引き、問題を見渡す機会を与えてくれる。度をすぎた怒りに駆られたときでも、書くことによって、思慮深さをある程度は保てる。
 そして何よりも、たとえ小さなことでも、読み手に周りの大きな世界の一員という感覚を与えてくれる。ニューズレターに何か思いついたことを少し書いてみるといい。そうすればあれこれ神経質に考えはじめていることに気づくだろう。「他人は気づいてくれるかな? みんなはどう考えるだろう? 私は馬鹿なことを言っていないか?」読み手とはコミュニティーのことである。文字になったことばはそのコミュニティーのなかの一員になったという宣言であり、そしてそのコミュニティーに今後も何かで貢献するというやる気の表れでもある。
 だから、読み手を選びなさい。何か書きなさい。」

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自分で考えたことを書き留めろ。


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posted by Fukutake at 13:01| 日記