2019年09月06日

リチャード・パワーズの筆力

「舞踏会に向かう三人の農夫」 リチャード・パワーズ著 柴田元幸訳 
 みすず書房 2000年

血と殺戮の20世紀

 p344〜
 「…普通、テクノロジーによって新しい商品が作り出されると、それら新しい商品は、それらが必要だという思いを同時に作り出す。まもなく消費者たちは、数年前には存在すらしなかった益なしでは生きていけなくなる。ところがミセス・シュレックが物を貯め込んできたやり方には、そうした同化吸収をとことん回避する姿勢が窺えた。昨日散歩で拾った松ぼっくりと、時代物のレアなフロアキャビネット型ラジオ(私がそれをじろじろ眺めているのを彼女は目にとめたのだった)とのあいだに、彼女はいっさいの価値の区分をしてこなかったのだ。
− 古いラジオの一番いいところは何だかわかるかい?全部木でできていることだよ。大工のところへ持っていくんだ。大工は電気屋より安いからね。
彼女は片手のこぶしを唇に当て、自分のジョークに軽く体を震わせてみせた。一方の手が、レースのテーブルセンター −ありえないほど古くて、外国語で刺繍がしてある −を包み込んでいる。
 −ミセス・シュレック、値打ち物の骨董品をいくつもお持ちなんですね。
 −値打ち? 言うじゃないか、もし金持ちが他人に金を払って自分の代わりに死んでもらえたら、貧乏人もやっとまともな暮らしができるだろうって。
 彼女はさらに言葉をつづけた。この古いラジオが鳴っていたころは、その価値も鳴ることもあった。が、寿命が来て、とっくにゴミの山に埋もれるべきものになったころには、もはや手放す気になれないほどの自分がこのラジオをあまりにも多く傷つけてきたことを悟った。売り払って現金を得たとしても、自分が生きたもろもろの災難や怒りを時間軸に沿って記録してくれてきた、かくも完璧な道路地図を失うことの代償にはとうていならない。片方の肩をすくめながら、彼女は、思い出の品の値打ちというのは − というか値打ちというのは一般に − それについて人が何か意味あることを言える力を超えたところにあるのだと説いた。
 ミセス・シュレックはお茶を出してくれたが、自分ではティーカップから直接飲みはしなかった。さっと手首をひねって、少量をソーサーに注ぐのだ。そして両手を使って、平べったいソーサーを口元に持っていき、こぼしもせずにすばやく飲む。私がその手順に見とれているのに彼女は目ざとく捉えた。
− あたしは旧世界のやり方で飲むんだよ。体の震えにもいいしね。一方の手のひらを上から波打つように振りおろすしぐさが、あたしのいうことを真に受けちゃ駄目だよ、と伝えていた。…」

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印象に残る部分です。

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posted by Fukutake at 11:04| 日記