2019年09月18日

ヨーロッパ・日本連合とロシアの接近!

「帝国以後」 アメリカ・システムの崩壊 エマニュエル・ドット 
 石崎 晴己 訳 藤原書店 2003年
(その2)

アメリカの終わり
p265〜

 「…今日地球上にのしかかる全世界的均衡を乱す脅威は唯1つ、保護者から略奪者に変質した、アメリカそのものなのである。己の政治的・軍事的有用性がだれの目にも明らかであることを止めたまさにその時に、アメリカは全世界が生産する財なしではやって行けなくなっていることに気付くのである。しかし世界はあまりに広大で、あまりに多くの人間が住み、あまりに多様で、あまりにも制御不可能な力に貫かれている。どれほど知恵を絞って策定した戦略であろうと、アメリカが己の半帝国的立場を名実兼備えた帝国に変えることを可能にしてくれない。アメリカは経済的・軍事的・イデオロギー的にあまりにも弱過ぎるのである。それゆえ世界への足場をさらに固めるための動きをすると、その都度、マイナスの逆作用が産み出され、それによってアメリカの戦略的態勢は前よりほんの少し弱まってしまう、ということの繰り返しになってしまう。

 現今の本物の強国を統制することー工業の領域では日本とヨーロッパを押さえ、核武装の領域ではロシアを粉砕することーができないので、アメリカは、これ見よがしに帝国の振りをするために、非強国の分野で通用する軍事的・外交的行動を選ばざるを得なかった。すなわち「悪の枢軸」とアラブ圏という二つの圏域である。そしてその二つが交差するところにイラクがある。軍事行動は、その強度とリスク水準からすれば、いまや本物の戦争とヴィデオ・ゲームの間のどこかに位置することになる。防衛能力も持たぬ国を海上封鎖し、取るに足らぬ軍隊に爆弾の雨を降らせる。まさに非武装の一般住民の上に、第二次世界大戦に匹敵する銃爆撃を敢行する。リスクの水準は、アメリカ合衆国の軍にとってはほとんどゼロに等しい。しかしアメリカの一般住民にとってはゼロではない。非対称的な支配は、被支配地域から発するテロという反動を産み出すのである。その最も成功したものが二〇〇一年九月一一日の
テロだった。

 アメリカ合衆国の指導者たちは、リスクというのはせいぜいがところ、ロシアという大強国と、中国とイランという小強国の接近ぐらいなものだろうと、高を括っていた。結果として、ヨーロッパの保護領と日本という保護領を己の統制下に置き続けることができるだろう、と考えていたわけだ。ところがもしこのまま乱行を続けるなら、実際のリスクは、ロシアという主要な核兵力強国と、ヨーロッパと日本という支配的な二大工業国の接近に他ならないのである。」


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アメリカ帝国の凋落

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posted by Fukutake at 11:50| 日記

2019年09月17日

米国覇権の衰退

「帝国以後」 アメリカ・システムの崩壊 エマニュエル・ドット 
 石崎 晴己 訳 藤原書店 2003年
(その1)

資産の蒸発 p141〜

 「世界のすべての国の指導者階級、特にヨーロッパの保護領と日本という保護領の指導階級が、このグローバル化された社会の均衡から利益を得ている限り、先進世界の労働諸階級の搾取と発展途上国の過剰搾取がこの均衡によって克服しがたい問題となることはないだろう。アメリカの覇権の脆さが拡大していくとすれば、その原因の一半は、調整メカニズムがヨーロッパと日本の有産階層や発展途上国の新ブルジョワジーという、被支配的周縁部の特権諸階層にとって脅威になるということに存する。それゆえわれわれとしてはここで、利潤というものが全世界規模でどのような運命を辿るのかを、さらに先まで追跡して行く必要があるだろう。
 …
 資本主義、利潤、金持ち、証券取引所、等々の用語を用いる一般的にして抽象的なモデルから脱却して、それらの概念を世界の現実の中に再び挿入してみるなら、全く単純明快に、世界の利潤の大部分はアメリカの証券取引システムの方へ流れ込んで行く、と言わざるを得なくなる。… 平均的世帯は借金を抱え、ウォール・ストリートでは首切りが相次いで行われる。さらには利子率が切り下げられ、現実の利子率ゼロが厳しい監視の下で遵守されることになると、それは投機経済からすれば、通貨の無償分配に等しい。しかしもしアメリカ経済は、消費財の大量輸入がさらに増大していることからも分かるように、その実体的現実においては生産性が低いということを認めるならば、株式の時価総額は虚構の集塊であり、アメリカ合衆国へと向かう金(かね)は文字通り蜃気楼の中に吸い込まれるのだと、考えなくてはならない。

 アメリカ合衆国への大量の投資は、あたかも切迫した破壊の予告のごときものであるということを知っている。どのようにして、どの程度の速さで、ヨーロッパ、日本、その他の投資家たちが身ぐるみ剥がされるかは、まだ分からないが、早晩身ぐるみ剥がれることは間違いない、最も考えられるのは、前代未聞の規模の証券パニックに続いてドルの崩壊が起るという連鎖反応で、その結果はアメリカ合衆国の「帝国」としての経済的地位に終止符を打つことになろう。

 アメリカはローマのような軍事力を持っていない。その世界に対する権力は、周縁部の朝貢国の指導階級の同意なしには成り立たない。徴収率が一定限度を越え、資産運用の安全性の欠如が一定水準を越えると、彼らにとって帝国への加盟はもしかしたら妥当な選択ではなくなってしまう。」

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リーマンショック(2008年)の予言

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posted by Fukutake at 16:50| 日記

2019年09月13日

体と心

「左足をとりもどすまで」オリバー・サックス 金澤泰子訳
 晶文社 1994年

(ノルウェイの山中で転落事故にあい、大ケガを負った脳神経科医サックス。手術により傷は癒えたが、なぜか左足が自分のものであると感じられない。神経の障害のため、脳のなかの左足のイメージが失われてしまったのだ。)

P153〜
 「… 目がさめたとき、私は左足を曲げたいという奇妙な衝動を感じた。と、その瞬間、私は足を曲げていたではないか! 足を曲げるには大腿四頭筋全体を積極的に収縮させる必要がある。これまでは考えることすらできない、不可能な動作だった。しかしそのときは、考えも動きもあっというまだった。思いつきも、準備も、熟考もない。「試してみた」わけでもない。衝動を感じたと思うまもなく、即座に行動していた。足を動かすという考え(観念)、衝動、行為が一度におこった。どれが先とはいえない。すべてが同時だった。急に足の動かしかたを、「思いだし」、その瞬間に動かしていた、やむにやまれぬ動作だった。まったく突然に、内在する力で自然におきた、予期せぬ出来事だったのである。…
 しかし、数秒後にはまたできなくなり、その日はずっとだめだった。動作をする能力、動作についての観念、動こうとする衝動はふいにおこり、また消えてしまう。もう少しで思い出せそうな顔、名前やメロディーが急に消えてしまうようなものだった。…
 「観念運動」ということばがふとこころにうかんできた。今回の閃光のようなぴくつきは、無意識のうちに自然におこったものなのだが、まちがいなく本質的かつ根本的に「私」とかかわっていた。たんに「筋肉が痙攣している」のではなく、「私」がなにかを「思いだして」いたのである。それは、腱が切れて以来失われていた調和、心とからだの真の調和を一瞬のうちに例証していたのである。
 私は執刀医のことばを思い出した。「つながりが切れてしまったのです。ですからもういちど結びあわせます。」まったく解剖学的で彼が使ったことばには、いま思うに、より深い意味があったのだ。つながりを断たれたものは、神経と筋肉だけではなかったのである。心とからだが本来持っている調和も断たれたのである。肉体も精神もそれぞれ引き裂かれ、そのうえ、たがいに引き離されたのである。「肉体」と「精神」はそれらが一体であるかぎり、感じることができたのだが、両者がつながりを失ったとき無感覚になった。…観念運動の閃光のうちに、再接続がおこった。それは肉体と精神の急激な痙攣性の再統合だったのである。」

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肉体と精神のつながり!
posted by Fukutake at 13:38| 日記